風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第206段
40日間、日本滞在(その14)
古希の旅行(その1)
往きのバスの中
集合時間は、朝7時15分。
集合場所は、高浜市市民センター駐車場。
東浦から車で行き、市民センターの駐車場に車を置き、バスで行く。
集合場所に着くと、旅行委員の磯田君や、政夫君がバスの乗車口の外で待っていた。
「おはよう。ごくろうさん。」と挨拶し、バスに乗り込んだ。
「みつはる。」「みつはるくん。」「みっちゃん。」と呼び方はまちまちであったが、先にバスに乗り込んでいた幼馴染が、私を呼んでくれた。
握手をしながらバスの奥に進んだ。
京都の健誠君も参加していた。
健誠君は、この会の旅行へ初めて参加したのであった。
仕事の都合で忙しかったのであろう、入会がなかなかできなかったようであった。
先日の京都旅行のお礼を言い、握手をした。
どんどん奥に進んだが、2人掛のシートは、すでに満員であった。
後の席は、「コの字」型に席が作られ、真ん中にテーブルが据え付けられている「宴会用」の席であった。
その内の四つくらい席が開いていたので、周りと握手をし、その1つに腰を据えた。
腰を据えて、ホットした処で、「出発します・・・。」
集合するのに、私が1番遅かったのであった。
お年寄りは、集まるのが早いのである。
だから、2人用の席は、満席であったのだった。
「宴会用」の席に座る仲間は、お酒好きの仲間である。
私もその仲間で、別段、否定はしません!
発車し、間もなくすると、ビール、お酒、焼酎とおつまみが、テーブルにならんだ。
ビールのプルトップを開け、近くの酒好きと乾杯をした。
テーブルに並べられた「おつまみ」の中に、「いわし」を開き、酢漬にしたのがあった。
素晴らしく美味しい「いわし」であった。
これは、今日一緒に旅行に参加し、旅行では、いつも何かと皆の面倒を見てくれる強二君が造った料理であった。
強二君は、旅行のとき何時でも、このように「おつまみ」を造ってきてくれている
前段で、浜ッ子の泳ぎの事を書いたが、強二君は、いまでも銛を持ち、素潜りで魚を取りに行っている。
「魚取りの名人」「おつまみ造りの名人」である。
「わいわい、がやがや」。
「宴会席」に少しの空席があり、入れ替わり話し好きの友が「宴会席」に座りに来た。
何を、気取って話すのでもない。
たわいのない、話しであるのが、実にゆかいであった。
「カラオケ」が始まり、どんどん、歌っていく。
荘太君は、気持よく酒に酔い、バスの前の方の通路に立ち、手振りを入れて、面白く三橋美智也の「哀愁列車」を歌った。
バスの中は、その仕草で、大爆笑・・・。
荘太君は、はずみがついたのか、何べんも、何べんも、その歌を歌った。
さて、私はどうしていたのかな・・・。
日本のお酒は、美味しい。
焼酎をいただいた。
歌を聴きながら、チビリ、チビリと、日本の酒を味わった・・・。
私が座っている隣の席に、立ち替わり友が話に来てくれた。
ブラジルの事を、聞かれるままに、答えていた。
ほろ酔い気分で話は弾んだ。
ビールは初めの1缶だけ。
ビールは、飲まない・・・。
私は、お年寄り。
ここは、どこ・・・。
走っているバスのなか・・・です。
ほろ酔いで ブラジルのこと 話をす
ブラジル良いとこ それだけ話す
0コメント