風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第202段
40日間、日本滞在(その10)
三河の海
昨日は、知多半島を一周し、伊勢湾、そして、知多半島からの三河湾を眺めながら、伯と2人で、海岸通りをドライブすることが出来た。
今日は、三河の街から三河湾を見ようではないか。
朝10時、3年前に西尾市に合併された一色町の「さかな広場」に来ていた。
朝10時開店の「さかな広場」は、まだ観光客はまばらで、ここで店を持つ店員達は、伯と私を見て、「買って。買って」の声をかけてきた。
私達は、買う物は決まっていた。
そして、「あの頃」来ていたので、その商品のある店と場所までわかっていた。
1番奥の店に行き、「海苔」を400枚購入した。
「海苔」は、弁当を作る時に使うための物であった。
ブラジルでも、「海苔」は売っている。
ブラジル現地で取れた「海苔」から、日本製、中国製まで沢山の種類がある。
弁当には、風味が1番よい日本製を使っているが、コスト高になる。
でも、これが私達のお客さんへの「愛情」の入っている証である。
「海苔巻」1本を8個に切り、4つずつ弁当の折りに入れるので、400枚は800個の弁当を作る枚数になる。
日本での「海苔」の値段は、ブラジルで日本製を購入するより、3割ほど安い。
せっかく日本に来たのだから、ささやかではあるが、弁当のコストダウンをしておこうと伯は思ったのであった。
あとの買物は、お母さんへのお土産の「日高昆布」と、「イカの塩辛」だけであった。
「イカの塩辛」は、私の今晩の晩酌の「口取り肴」であった。
近頃の私の晩酌は、土曜日と日曜日だけでなく、他の曜日にも飲むことが多くなり、
少しだらけてきているところがある。
しかし、酒量は、決して多くはない。
買物を済ませ、いざ、蒲郡へ・・。
そして、「竹島橋」が架かる海辺に着いた。
砂浜は、以前来た時より整備され、訪れた人達のための駐車場も作られていた。
「あの頃」海岸の近くに置かれたベンチに座り、「カモメ」に餌を・・・。
それも、沢山の「カモメ」であった。
動物好きの伯は、面白がり、餌を空中に投げる。
すると、「カモメ」は、その餌をうまく捉え、食べていた。
しかし、今日は「カモメ」が1羽もいなかった。
どうしてか?
季節的なものか?
わからなかった。
残念に思った。
竹島は、400メートルの橋が架かる島である。
夏の終わりの風に吹かれ、橋を渡り始めた。
「あの頃」に比べ、ゆっくりと、ところどころで立ち止まりながら・・・。
橋の上から海を見下ろすと、透きとおった海水に海底が見えている。
遠浅の海であることがわかる。
これなら、橋を渡らずに、海に下りてでも、竹島に渡れるように思えた。
浅瀬に10センチくらいの大きさの魚が沢山泳いでいるのが見えた。
橋を渡り終えると、大きな鳥居があり、その後ろに、急な石段が待っていた。
白い奉納旗が両側に並び、鬱蒼とした樹々に囲まれた石段を登りきると、「八百富神社」の本殿にたどり着く。
数人の参拝客がいるだけで、木漏れ日の中で自分が素朴で厳かな心になれた事を感じた。
御賽銭を入れ、参拝。
先ほど登ってきた石段を降り、島を1周する。
1周700メートルほどの小さな島である。
ある場所では、通路というより、岩場と言った方がよい場所もあった。
爺さん、こけないように注意しながらの前進であった。
途中、海の入ることができる場所に着き、靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ、ジーパンを巻くしあげ、昨日と同じように、また海に足を入れた。
昨日の「山海海岸」の波より優しい波であった。
ええい、泳ぎたい!
服のままでも・・・。
そう思ったが、夏の終わり、老人にしては、少し冷たい。
ましてや「狭心症」の疾患を持つ爺さん。
無理なことだ。
懐かしく、思う。
爺さんは、浜ッ子。
水泳は、得意であった。
高校生の頃には、50メートルのプールに飛び込み、50メートルターンをし、折り返し、100メートルに到達するまで、潜水を続けることが出来た。
また、高校1年生の時には、1年生全員参加の臨海学校合宿では、合宿最終日の「遠泳」では、私と同じ高浜の浜ッ子の和夫君と一緒に、トップでゴールしている。
泳ぎには、自信があった。
でも、こんなことは、浜ッ子なら普通である。
私の幼馴染には、もっとすごいやつが沢山いる。
いま、古希になろうとしている歳で、銛を持ち、素潜りで魚を取っている友がいる。
私なんぞは、浜ッ子の中では、泳ぎは「並」であった。
竹島を離れ、「ラグーナ蒲郡」へ・・・。
何故にここへ?
昨日の知多の海、そして今日の三河の海。
それは、私が澄んだ海が好きだからということであった。
澄んだ海は、私の少年期の忘れられない、風景である。
だから、海に来たのだが・・・。
「ラグーナ蒲郡」来たのは、「あの頃」伯と2人で、大きな「観覧車」に乗ったことがあり、もう1度、乗って見ようということであった。
ただ、それだけ・・・。
乗ってみたのです。
私が、今から何を書くのが、もう、おわかりと思う。
「伯と2人だけの『観覧車』は、ロマンチックに廻り始めた。」とかきたいのです。
でも、爺さん、廻り始めて、まだ「観覧車」が2、3個だけボックスが登ったところで、まさに「蝋人形」か、「マネキン人形」か・・・・。
爺さん、ボックスの中の支柱を掴み、動かなくなってしまっていた。
支柱に掴まりながら、少しは横目で外を見ていた。
それを見た、伯は「ケラケラ、ハハハ・・・。」と笑いこけること、最後まで・・・。
でも、爺さん、乗ったのです。
お付き合いは、しておいたのです。
やっとのことで、「観覧車」を降りることができた。
でも、爺さんの体は、まだもとに戻っていなかった。
昼食にありついた。
「シラス丼」であった。
昨日は、豪勢な昼食だったので、今日は、簡単にしておこうと思った。
「シラス丼」を食べ始め、やっと体が正常な感覚になりはじまた。
やっぱり、この爺さん、なにか食べさせれば、どんな気分も、元に戻るのであった。
観覧車 1回りしか 廻らねど
我が目ん玉は 廻りっぱなし
竹島、八百富神社の階段からの風景。
竹島の海岸沿いの細道。
ラグーナ観覧車内。
少しは余裕があったのか?・・・・左手は手すりをつかんだままです・・・。
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