風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第199段

40日間、日本滞在(その7)

 日本に着いてから4日目の朝からウオーキングを開始した。

 今度賃貸したアパートは、「あの頃」にウオーキングした「於大のみち」から200メートルほど離れた場所にある。

 他に入居できるアパートが数部屋あったが、このウオーキングコースにいちばん近いアパートを契約した。

 このウオーキングコースでウオーキングをしたいがためであった。

 アパートから文化センターを通りぬけ、ウオーキングの出発点の「さくら橋」まで行く。

 「明徳寺川」の「於大のみち」である。

 ウオーキングの出発点の「さくら橋」には、1本の大きな桑の樹があり、実がなる頃には、私は、その実を歩きながら食べていた。

 でも、今回はもう8月下旬ということで、桑の樹は、葉だけが元気に風に揺れていた。

 「さくら橋」をスタートし、西に向かってウオーキングを始めるのであるが、100メートルほど歩くと、明徳寺川は、大きく半円を描き、途中の「ぼうず橋」まで大きくくねっている。

 このくねっているのが、ウオーキングのコースとしては、情緒を醸し出している。

 「ぼうず橋」を超えると、また西に進む。

 そして、「山の手大橋」まで、私の足で15分ほどである。

 ウオーキングコースは、「山の手大橋」まで、明徳寺川の両方の堤に桜が植えられ、桜の並木道になっている。

 「ソメイヨシノ」ではなく、色々な種類の桜が植えられている。

 八重桜が多く、「ソメイヨシノ」に比べ、2週間程、開花の時期が遅い。

 明徳寺川は、浅瀬が多く、50センチもあると思われる「真鯉」が悠々と泳いでいるのが見える。

 そして、「亀」が沢山、生息している。

 朝、6時を回った頃のウオーキングである。

 「おはようございます。」とすれ違う人に声をかける。

 ジョギングをしている人も多い。

 「あの頃」見かけた、颯爽とジョギングしていた若い女性にも「おはようございます」と挨拶することが出来た。

 川の両堤の夏の雑草は、綺麗に刈られ、朝日に照らされ、雑草の匂いを気化させている。

 その匂いは、里山の匂い。

 爽やかである。

 カーブの終わる「ぼうず橋」を過ぎると、左手に、黄金色と緑色のツートンカラーの稲田が広がり、その先の丘の中腹の竹林が、長閑な里山の風景を作っている。

 そして、稲田に囲まれ、縦に「JAふれあい農場」と書かれた大きな看板が遠くに見える。

 ウオーキンギグのコースを外れ、農園に行き、広い畑の一画で、私が借りていた場所に行ってみた。

 「キュウリ」「ナス」「トマト」「ピーマン」が育てられ、「スイカ」も栽培されていた。

 もう、夏の終わりで、「スイカ」は弦と葉だけになっていた。

 「私も、ブラジルで、沢山の野菜を早く作ってみたい。」

 そう思った。

 ウオーキングコースは「山の手大橋」に着く。

「山の手大橋」から咲きの明徳寺川の堤には、「あの頃」、私が東浦で生活しはじめてから植えられた桜の苗木が500メートル先の「学習の森」まで続いている。

きっと来年は、桜の花が咲き、里山の中央を美しく飾るであろう。

私のウオーキングコースは、そちらの方向には行かずに、明徳寺川と別れ、明徳寺側と道を挟んでいる「於大公園」と進む。

「於大公園」に着き、30段ほどの階段を上ると、10メートルはどの桜並木に到着する。

「於大公園」の桜は、明徳寺川の「八重桜」と違い、「ソメイヨシノ」が多い。

「ソメイヨシノ」と、明徳寺川に植えられている「八重桜」は、開花が2週間程ずれていて、東浦では、2度の桜見物が出来る。

 300メールほどの桜並木を通り過ぎると、左手に「おもしろサイクル広場」がある。

 ここは、子供の遊び場である。

 足こぎで動く沢山の違った形の乗り物があり、「よいしょ、よいしょ」とあしでこぎながら、子供が遊ぶ。

 「あの頃」私の娘が2人の孫を連れて東浦にいた私のところに遊びに来た時に、私は孫と一緒にここに来て遊んだ。

 小学校1年生になる年上の孫(男の子)は、一生懸命に、また軽快に、片っぱしから違った種類の「おもしろサイクル」を乗りまわしていた。

 頼もしい、限りであった。

 歳下の幼稚園に通うようになったばかりの孫(女の子)は、お兄ちゃんのすることを見事に真似し、次々と「おもしろサイクル」を乗りこなしていた。

 お母さんである私の娘は、心配であったのか時々、下の孫の手伝いをしていた。

 私は、孫たちが遊ぶところの写真を撮影した。

 後日、その写真を孫達に郵送し、私のコンピューターのデスクトップの背景にした。

 孫達は、繰り返し、繰り返し、今で私のコンピューターで、一生懸命、「おもしろサイクル」のペダルを踏んでいる。

 

 その「おもしろサイクル」を通り過ぎる、ウオーキングコースは、右に芝生のグランドカバーが敷き詰められている「野外ステージ」を見ながら、左へ曲がる。

 そして、曲がるとすぐに5メートルくらいの橋の上を歩く。

 橋は、和風に作られていて、牛若丸が八艘飛びをしたと思われるような造りである。

 橋を越え、どんどん歩いていく。

 200メートルほど歩くと、坂道に差し掛かり、坂道の右手には、「オニバス」の池がある。

 坂道を右におれ、坂道を登ったところに、「枝垂れ梅」が丘の斜面に植えられ、それを見下ろすことが出来る。

 そして、その「枝垂れ梅」の丘を過ぎると、「桜見の丘」が見下ろせる。

 ここは、芝生が敷かれ、「ソメイヨシノ」が植えられ、桜見物で人々が敷物を敷き、宴をするところである。

 「あの頃」、伯が作った弁当とビールと敷物をリュックサックに詰め、ささやかな宴をし、ほろ酔い気分で、寝転がり、桜を見上げ、その先の青空を見ながら、ひと眠りした。

 ゆったりとした、懐かしい想い出である。

 「桜見の丘」を見下ろし、しばらくすると下り坂になる。

 ウオーキングコースの道は樹々に包まれ、

コースの右と左の林の中に作られたマレットゴルフのコースが見え隠れする。

 休憩場所に作られた「藤棚」が木陰の間から見ることができる。

そして、右に折れると、再び「ソメイヨシノ」の並木路に着く。

 50メートルほど行くと、右に「このはな館」がある。

 ここは、色々の催時、展示、そして、公園に立ち寄った人のための休憩所になっている。 

 また、日曜日の朝には、館の前の広場で太極拳の練習がある。

 ウオーキングしている人等が自主的に参加でき無料で、太極拳だけでなく、気功、ストレッチもやられている。

 「あの頃」に、私が太極拳を始めたルーツがここである。

 そして、公園を廻り終え、再び「おもしろサイクル」を右に見ることになる。

 再び、明徳寺側に出て、今度は来た時と対岸になる堤を歩く。

 私の短い足で、1周1時間くらいで回れるコースである。

 今は、桜は葉だけを付け秋に向かい、少し赤くなっている葉がちらほらであった。

 歩き始めた8月下旬は、花は咲いておらず、綺麗に刈られた雑草だけの風景であったが、9月中旬になると、白い花、ピンクの花が咲きだした。

 私の好きな「曼珠沙華」の仲間の「キツネのカミソリ」が咲き始めた。

 葉のない花だけの花、四方八方に髭を伸ばし、自分を誇示している。

 そして、1週間程すると、赤い「曼珠沙華」が咲きはじめた。

 川の堤、野辺の畦道に、真っ赤な「曼珠沙華」が、私を歓迎してくれた。

 日に日に咲き誇り、その姿は、燃えたぎる命。

 「曼珠沙華」に会え、楽しくウオーキングが出来た。

 しかし、「曼珠沙華」ははかない命。

 桜の花と良く似ている。

 短い命である。

 私が帰る頃には、寂しくも色あせてきていた。

 もうすぐブラジルに戻る。

 ウオーキングも後数日。

 そんな日に、明徳寺川の堤に、一輪。

 たった一輪の「サクラ」が咲いた。

 樹に掛けてある名板の名前を読むと「ジュウガツサクラ」とあった。

 10月には満開になるであろう。

 私がブラジルに帰るのに、「無事に」といいたくて、一輪だけ、先に咲いたのです!

 この里山、ほんの1年しか生活したことがない。

 しかし、心に残る里山の風景、匂い、そして人達。

 忘れることはない。

 

 

        里山に 帰りし我に 会いたくて

            さくは真っ赤な 曼珠沙華なり

※ 朝のウオーキングを始めて3日目、高浜市の稗田川に行き歩いた。

ウオーキングをしながら食べた、桑の実。

そして、同級生がメールで教えてくれた、黄色と、ピンクの「キツネのカミソリ」の群生を見ることができた。

この色の「キツネのカミソリ」を見るのは、今回が初めてであった。

寂しいことが1つ。

「あの頃」歩いていると、75歳くらいのお祖父さんと一緒に散歩していた、「ナオ」という名前の秋田犬がいた。

会うと何時も、伯は立ち止まり、しゃがみ、「ナオ」を撫でてやっていた。

その「ナオ」に、動物好きの伯は会いたがっていた。

そんなことで、稗田川まで来たのだが、会うことが出来なかった。

何時もあっていた近くのベンチに座って待ってはみたが・・・。

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