風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第197段
40日間、日本滞在(その5)
今日は、日本に来てすでに、4日目。
私がお世話になった会社に早く元気な顔を見せたいのだが、あいにく日曜日ということで、会社の事務所は閉まっているであろう。
朝、「あの頃」毎朝実行していたウオーキングコースを歩いた。
ウオーキングコースのことは、後の段でまた書くことにする。
爽やかな朝であった。
そして、朝飯。
パン、コーヒー、ヨーグルトで、ブラジルの朝飯と変わらなかった。
やっと、落ち着き、テレビをつけてみた。
番組のタイトルを忘れてしまったが、「関口弘」が司会をするニュース番組で、あの頃は、「於大公園」で日曜日朝開かれていた太極拳の練習を終えてから、良く見ていた番組である。
言葉は当然日本語であるので、理解できるが、番組の内容が日本を離れていて、判りづらい処があった。
スポーツコーナーは、大体の内容を、理解できた。
11時までテレビを見た。
そして、アパートからかなり離れているが、「王将」まで、昼飯を食べに歩いていこうと2人ででかけた。
車が沢山行き来する新しい道を避け、旧道である「師崎街道」を伯と歩きはじめた。
この街道は、知多半島の先端の「師崎」まで続いている。
昔の人は、この道を歩いたのである。
ところどころ、「〇〇まで〇里」との石柱が残っている。
歩く途中、見る家並みは、「あの頃」に見た家並と変わらずに続いていた。
15分くらい歩いたところに「入海(いりみ)神社」がある。
伯と私の最後の大晦日のカウントダウンをした神社である。
大きな樹々に囲まれた40段くらいあろうか、その石段を登りお参りした。
「ブラジルで仲良くやっています。」と。
「入海神社」を出ると、新道しかない。
ひっきりなしに走っている車の脇を怪我をしないように歩き始めた。
伯は、私がたいそう老人と思うほど気を使い、「車が来る、車が来る。」と私に、再三、声をかけた。
心配するな、まだまだ、大丈夫と内心思ったが、伯の言うことを聞きながら歩いた。
15分くらいで「王将」に着いた。
日曜日ということで、客が順番待ちをしていた。
順番待ちのカードをコンピューターから取り、順番待ちをした。
ほんの5分の待ち時間であった。
「焼飯(やきめし)」、そして、「ラーメン」
「あの頃」、良く2人して食べに来ていて、伯は「焼飯」、私は「ラーメン」と決まっていた。
「王将」は、「ギョウザ」で有名であるが、「ギョウザ」は注文したことがない。
その頃、他に注文したことがあるのは、「から揚げ」、「ニラレバ炒め」くらいであった。
質素であったのです。
東浦に戻り、また、懐かしの「ラーメン」を食べることが出来た喜び、伯と顔を見合せ、笑顔で食べることが出来た。
帰り路、その途中にあるスポーツ用品店と東浦イオンにより、ブラジルに持って帰るお土産を揃い始めた。
石段を 登りつ浮かぶ 除夜の鐘
2人で聞いた 最後の晦日
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