風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第195段

40日間、日本滞在(その3)

 日本に到着し、一夜が明けた。

 この日の予定は、ワンルームマンションの短期賃貸借契約を結ぶことであった。

 電車、バスの乗り継ぎ、東海市にあるL社の東海支店に出向いた。

 10ヶ月ほど前から、メールで情報を流してくれていたL社の小田さんが、笑顔で対応してくれた。

 メガネを掛け、私の足の短いちんちくりんを否定するかのような、足が長くてほっそりした長身の中年男性であった。

 判り易く賃貸借の重要事項の説明を受け、署名した。

 「はんこは入りません。」とのこと。

 署名欄の、後にははんこを押すように「印」の字が書かれてあった。

 きっと、ブラジルから来たのだから、はんこなどは持っていないと思ったに違いない。

 私は、はんこを用意していたが、彼の言葉のまま、はんこは押さずに契約を終えた。

 そして、鍵は、明日、共和にあるL社の支店に、10時以降に取りに行くことになった。

 

 契約を終え、東浦のワンルームマンションのある場所に行くため、バス、電車を乗り継ぎ、東浦の行ってみた。

 ワンルームマンションは、ブラジルに渡る前に賃貸していたアパートと明徳寺川を挟んで反対の方角にあり、明徳寺川に近く、また、朝のウオーキングが出来ると、喜びと懐かしさが入り乱れた。

 ブラジルに渡る前(この時期の事を、これからの文章では「あの頃」と、書きます。)に伯と良く食べに行った「丸亀製麺」へ行き、伯の好きな「釜揚げうどん」を注文し、懐かしくいただいた。

 何時もは「並」であったが、この日は「大」を注文した。

 この後、3回も釜揚げうどんを食べに行くことができた。

 

 この日は、生活拠点が決まったということで、一安心した。

 東浦から名鉄の刈谷市駅まで30分ほどかけて歩いてみた。

 あの頃の風景と変わりない風景であったが、本刈谷神社の前を通ると「ツクツクホウシ」が鳴いていた。

 日本は秋になる準備に入った証拠である。

 ブラジルでは、「蝉しぐれ」は聞かれない。

 久しぶりに聞く蝉の声は、やはり蝉・・・。

 騒々しさの中に、何か寂しさをも感じた。

 高浜市のビジネスホテルに着き、ビジネスホテルの近くのコンビニへ夕食の弁当を買いに行くことにした。

 コンビニで沢山の弁当をみては、どれにしようか迷ってしまった。

 なぜか、伯やお母さんが作って七夕で売った弁当のことが頭に浮かび、どの弁当を見ても、七夕で売った弁当よりも美味いと思う弁当がない。

 それでも、腹はすいている。

「から揚げ弁当」にした。

 ホテルに戻り、伯と2人で弁当を食べながら、この40日間のパーティーで行ってみたいところを、お互いに言い、行く先のアウトラインを決めた。

 あの頃2人で行った場所が多かった。

         アパートの 賃貸契約 はんこなし

            我は見られし ブラジル人と

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