風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第194段

40日間、日本滞在(その2)

 クンビッカ空港よりアブダビ経由で、26時間かけて成田着。

 8月21日13時15分(日本時間)。

 懐かしい日本に着陸した。

 人混みの中、ゆっくりと入国手続きをする。

 パスポートに「帰国」の印が押された。

 私は、今度の旅行は、日本に行き、ブラジルに帰ると思っていたが、パスポートに押されたのは「帰国」という印であった。

それを見て、「ああ、帰国なんだ。」と納得した。

 3個の大きなスーツケースを見つけ、手荷物検査へ。

 手荷物検査は、係員がスーツケースに入っていた鍋を取りだしただけで、簡単な検査で通過した。

 さて、日本の生活を始めなくてはならないが、まだ塒には行くことができない。

 塒は、10ヶ月ほど前から賃貸住宅のL社にメールを送信し、ワンルームマンションの短期契約の方法や、物件探しの方法を聞きながら、到着した時には、すでに懐かしい東浦にあるワンルームマンションを短期契約することで、物件の抑えはしてあった。

 東海市にあるL社の支社に行き、契約し、鍵を貰わなくては賃貸物件には、入居することができない。

 契約は明日、鍵の引き渡しは明後日との情報も入手していた。

 大きく、重たいスーツケースを宅急便で、賃貸物件まで送りたかったが、まだ、契約も終わっていなので、送ることを断念した。

 今日から2日間の宿は、JR刈谷駅に隣接したMホテルと決めていたので、成田エクスプレスで品川まで行き、東海道新幹線で三河安城に行き、荷物が多いことを考え、そこから刈谷駅までタクシーの予定を組んだ。

 成田空港のターミナルで、切符を揃えた。

 その時、「大きな荷物ですが、新幹線に置場はありますか。」と切符売りのお姉さんに聞いたら、「それは、ありません。が、車両の最後尾の座席の後なら、置くスペースがります。」といって、最後尾の席の座席を確保くれた。

伯とスーツケースをカートに乗せ、プラットホームに向かった。

エスカレーターに乗りながらの異動であった。

エスカレーターにカートを乗せて、うまく移動することが出来た。

でも、ちょっと危ないではないかとも、感じた。

プラットホームに着くと、私たちが乗る列車は、すでにプラットホームに停車していた。

カートから、スーツケースを下ろし、車内へ移動した。

さすが、国際空港の鉄道であるから、大きな荷物を置く、専用の場所が確保されていた。

三個のスーツケースは、そこに収まった。

列車が動き出し、車窓から、伯と2人で外の景色を眺め、その景色の懐かしいことが疲れを何処かへ連れて行ってしまったように思えた。

稲穂は、金色に頭を垂れ、葉はまだ緑のツートンカラーの稲田が遠くに見える山裾まで広がっていた。

「もう、秋なのだ。」と思った。

千葉市あたりからは、街並みが続き、東京に入ると、ここが多摩川なのか、テレビで見た「金八せんせい」に出てくる風景に似ていた。

そして、「スカイツリー」がどでかい姿を現した。

しばらくして、品川到着であった。

 空港のようにカートはない。

 思いスーツケースを伯と分け合い、ゴロゴロとプラットホームを移動した。

 空港の切符売りのお姉さんが「新幹線の最後尾の席」を取ってくれていたので、スーツケースのゴロゴロという音は、プラットホームの先端まで、音を出しながら移っていった。

 私達が乗車する最後尾の列車の乗り場に到着する前に、列車はプラットホームに入ってきた。

 焦りながらも、最後部の列車に乗り込むことが出来た。

 列車の最後部の座席に行くと、その後ろにスペースがあり、スーツケースがピッタリとおさまった。

 空港の切符売りの恩根さんが言っていたとおりであった。

切符売りのお姉さん、ありがとう。

 三河安城で下車ということで、各駅停車であった。

 品川の駅を出発して間もなく、伯は疲れたのであろう、スヤスヤと、眠りに入った。

 私は、眠ることが出来ずに、ぼんやりと車窓に目をやっていた。

 そんなに、これといって、頭でまとめることはなかった。

 ただ、ぼんやりと・・・。

 三河安城到着。

 すぐさま、刈谷駅に隣接するMホテルに電話を入れた。

 「あいにく、満室です。」とのこと。

 おっとっと、どうしよう。

 他のホテルの電話番号を見つけ、電話をかけた。

 いやかけたというより、5つほどのホテルにかけ続けた。

 どこも、満室状態であった。

 仕方ない、今かけている電話ボックスからは数軒のビジネスホテルが見え、そのビルには大きく電話番号が掲げられていた。

 電話ボックスから見える電話番号に、順に電話を入れた。

 全て、満室とのことであった。

 皆さん、お仕事でお忙しく、何処のホテルも満室だってさ・・。

 どうしよう。

 そうです、私の故郷、高浜市に1軒だけのビジネスホテルがあることを思い出したのです。

 電話すると、空いるとのこと。

 駅で客待ちをしているタクシーに行き、高浜市までお願いした。

 20分ほどの乗車であったが、目に飛び込んでくる夜景は、この1年半足らずのうちにでさえ、ところどころ、変わっていた。

 高浜市到着。

 1年4ヶ月ぶりの風呂に入り、明日からの事を思いながら、就寝・・・。

       車窓から 日本の風景 流れ行く

              稲田は2色 点描画なり

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