風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第185段

七夕祭(番外編)

 今年の1月に愛知県人会で、高校時代の同級生の角田君と、世紀の「びっくり再会」をした。

 もう、その他には、ビックリするようなことはなかった。

 新しい家を建てて、お母さんとお父さんが住む予定であったのが、新しい家に移りたくないと、建築を途中でやめてしまった。

 日本なら、違約金など問題が出そうな場面であったが、ブラジルでは、何も問題がなさそうであった。

 家の建築を途中でやめても、ビックリはしなかった。

 ああ、そうか・・・であった。

 ここは、ブラジル。

 しかし、この七夕祭では、私がビックリすることと、私がブラジルの人をビックリさせることが、1つずつ起きた。

 1つは・・・。

 私達の売場の隣では、ジンタの義姉のケイコが「てんぷら」を売っていた。

 店の広さは、私達の店の4倍もあり、総勢12人で店を仕切っていた。

 「てんぷら」は、15センチ角ほどの大きさで、それをお客は、歩きながらほおばっていた。

 エビを主にし、キャベツ、ニンジン、タマネギなどが入っている「かきあげ」であった。

 「てんぷら」を買いたいというお客がケイコの露店の前に列を作り、隣の私達の店の前を塞ぐ格好になっていた。

 私達は、「てんぷら」を買いたくて並んだお客に「エスペリメンタ」というようになった。

 店の前を歩くお客には、私達の店が見えなくなっていた。

 「てんぷら」は、売れる売れる。

七夕に来たお客のお金を全部吸い取るような勢いであった。

 しかし、私がビックリしたのは、この売れ方ではない。

 ビックリしたのは、この「てんぷら」の元祖がケイコであると、伯に教えられたからであった。

 ケイコが日本の「かきあげ」を研究し、改善し、ブラジルの人の知る人ぞ知る「てんぷら」に成長させたのであった。

 昨年のフェスティバル ド ジャパンでも「てんぷら」が売られ、歩きながら、食べていた。

 「てんぷら」は、ブラジル風に変化し、定着している。

 

 このように「鯛焼」が、メジャーに馴れるように頑張ろうと思った。

 そして、もう1つのビックリは、私がブラジルの人を驚かせてしまった。

 私は、連日の生産活動で、時々、両足に痙攣が起きていた。

 店の後で、つり銭を渡していたが、痙攣が起こらないように、足の角度を調整したりしていた。

 私は、椅子に腰かけていた。

 椅子は、プラスチック製で、インジェクション成形の1枚抜きであった。

 椅子の厚みは、足部も背もたれも全て、5ミリくらいの厚みであった。

 ブラジルでは、一般的な椅子である。

 露店は、路上に設営されていて、路は、中央より端の方に向かって傾斜が付いていて、椅子は少し仰向けになっていた。

 伯が私に売上のお金を渡し、私がつり銭を伯に渡すために、痙攣をこらえて立ちあがった。

 渡し終わり、「どっこいしょ」と勢いよく座ったら、椅子の足が折れてしまった。

 傾斜している場所に椅子を置いていたので、椅子の足が真っ直ぐに立っていなかった。

 『メリ、メリ、どっすん・・・』

 私は、路上に転げ落ちた。

 それを見て、お客が一斉にビックリし、「#$%&!」なんて言っていた。

 私は、体裁を整え、笑顔で指を2本だし、「ピース」をした。

 伯と、ミユキは大笑いであった。

 この椅子が、斜めに置かれていただけで、別に重量オーバーではなかったのです。

 椅子を壊してしまった後は、2つの椅子を重ねて座った。

 この椅子は、幾つでも重ねて整理しやすいようになっている。

 恥ずかしい思いをした。

お客がビックリし、あわてて鯛焼を3つも買ってくれたという話はない。

 ビックリではなくて、腹の中で、「ちんちくりんが転げ廻って、なにしてんのかねー・・・」と思っていたかもしれない。

       ブラジルの 地に落ち着くに 思案する

                  苦労話 我に教える

私が座ろうとしたら、足が折れ、私が転倒してしまった椅子が重ねられている。

この椅子に座ろうとして、椅子の足が折れてしまうのは、私だけなのでしょうか????

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