風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第184段
七夕祭(ふれあい編)
まずは、書いておこうではないか…。
今年の七夕祭の最大の収穫は、マチダ家が協力し、販売を成功させたことと思っている。
お母さんはシャリを作り、海苔を巻いた。
ミユキは、サルガドスを揚げたり、カスタードプリンを作った。
伯は、鯛焼の生地を作り、私が焼いた。
日持ちがする物が少なく、祭の前日と前々日に作業が集中した。
それでも、皆で夜遅くまで作業をし、完成させた。
テテは今迄、運転手として、送り迎えをしてくれていたが、今回は、露店に入り、販売をもしてくれた。
テテは、商品の説明をするのがうまく、その効果もあり、ピリカラ漬も売れていたと思う。
このように、露店ではテテも参加し、ミユキと伯が売り手に回った。
もっぱら私は、後でつり銭を伯達に渡す仕事となった。
それでも、後で、「エスペリメンタ、オブリガーデン」は言い続けた。
昨年と同じに、鯉のぼりが元気に泳ぎ、祭の雰囲気を盛り上げていた。
笹も、だんだんと短冊が結ばれて、賑やかになっていた。
人の波は、昨年に比べ、少し少ないと感じていたら、リベルダージでも七夕祭が催されているとの情報が入った。
ワールドカップのために、毎年の日程通りにはいかなかったようであった。
店の前に客が通る。
試食に誘い、色々と話す。
鯛焼は、サントアンドレでは、初めてであった。
「サンミゲルで鯛焼を買ったよ。」と或る客が話した。
ところが、「サンミゲルで買ったよ。」と言っただけで、買っては貰えなかった。
また、或る客は、「リベルダージで食べたよ。」と言って、また買ってくれた。
少しずつ、ブラジルでの鯛焼の存在が広まってきていると思った。
カトリックの牧師のような黒い服装の40歳くらいの男性が、大きなうさぎの耳の付いたフードを冠った小学生の女の子と、胸に大きな文字でニューヨークと書かれたジャンパーを着たまだ小学校に入っていないくらいの女の子を連れて、店の前に立った。
何も言わないで、クリームの3個入りの鯛焼を1つ買って行った。
15分位すると、また、3人が来て、三個入りを1個買って行った。
そしてまたまた、30分も経たないうちに買いに来た。
嬉しい限りであった。
来年、あの大きなウサギの耳に、また会えるかなあ・・・。
ピリカラ漬では、他の露店でビールを買って飲みながら歩いていた客に、「エスペリメンタ」。
ビールを飲んでいた客が、ピリカラ漬を食べた。
「これ1つくれ。」だって。
私が思っていた通りの展開であった。
ピリカラ漬は、お酒のつまみに合っていると、ピンガの好きな爺さんは思っていた。
しかし、「御飯の友達」のキャッチフレーズにしたのは、おばさんに目を向けて欲しかったからである。
ピリカラ漬の売り方が1つ増えた。
沢山の客への売込みで、鯛焼、ピリカラ漬が広まるように、展開を考えて行こうと思う。
通りに並んだ露店には、昨年、お目にかかっていて、私をおぼえていてくれ、露店の前に行くと、笑顔で挨拶を交わすことが出来た。
昨年、露店での最年長と思われるお婆ちゃんも元気で、親指を立て、私に頬笑みを返してくれた。
毎年、毎年、挨拶をする人が増え、お客さんにも顔を覚えてもらい、鯛焼君と、ピリカラ君を覚えてもらおうと思う。
お婆ちゃん、元気でね。
商品を 置く台はさみ 話する
かわいい鯛焼 憶えてください
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