風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第181段
七夕に向けての出店準備(前半戦)
昨年、ブラジルに来て伯との初めての共同作業であったサントアンドレの七夕祭りが、もうすぐそこに迫ってきている。
昨年、販売したのは、弁当、サルガドス、カップケーキであった。
今年のラインナップは、鯛焼、ピリカラ漬、寿司弁当、サルガドス、助六寿司、ウグイス餅、それにカスタードプリンに決めた。
種類が多く、工数の問題、露店の広さなどを考え、今回は、ベベパンダを作らないことにした。
今日は、7月11日、金曜日。
腐りやすいタマゴを除いて、材料を全て買い物し、揃えた。
七夕祭りは、7月19日、20日の2日間である。
出来る仕事をどんどんとこなしていかなくては、間に合わなくなる。
日持ちのするものから作っていくように伯が計画を立てた。
今日の作業は、サルガドスに入れる具の仕込みであった。
フードプロセッサーで、牛肉のミンチを作った。
そして、鶏肉を湯がき、細かく切り刻んだ。
タマネギを切った。
15個のタマネギを切り刻んでいくうちに、爺さん、「お涙ちょうだい節」になってしまった。
目がボロボロになってしまっていた。
そして、ミンチや鶏肉にタマネギとニンニクを混ぜて炒めた。
また、日本のコッペパンの半分ほどの大きさのパンを乾燥させて、パン粉を作った。
パン粉はパンを「大根おろし」でこすり、こすった物を、ふるいにかけて、細かい物だけを分離していった。
日本のパン粉より細かい。
これが、今日の爺さんの仕事であった。
7月12日、土曜日。
朝、7時からの仕込みであった。
アンコの仕込みであった。
一晩、水に浸けた小豆を圧力鍋で煮込み、軟らかくし、その後、ミキサーで細かくし、大きな布袋に入れて搾り、布袋の細かい隙間から、水分だけを逃がしてやった。
布を搾り、袋を両手で押さえながら、水分を取り除いていくのである。
力が要る作業で、伯と交互に作業をしたが、ここで大発見をした。
私が搾るより、伯が搾った方が、水分が多く、袋から流れ出ていた。
これで、私より、伯の方が力持ちということが、わかった。
塊になったアンコを鍋に入れ、砂糖を数回に分け、ここでも、水分を熱で取り除いていった。
沸騰してくると、火山で溶岩が噴き出る時のように、鍋の中でフツフツとあんこに穴をあけ、飛び散る。
何時も撹拌していなければ、アンコが焦げてしまう。
一時間半、撹拌し通しであった。
フツフツと飛び散るアンコが爺さんの目の上に付き、爺さん、軽いやけどをしてしまった。
次の作業は、寿司弁当に入れる漬物の仕込みであった。
寿司弁当の隅に、少しだけ入れる漬物である。
ピリカラ漬を入れることにした。
それも、キュウリのQすけだけのピリカラ漬にした。
ピリカラ漬を3キロ作った。
今日は、ワールドカップの3位決定戦で、ブラジルがオランダと対戦していたが、テレビを見ないで、ピリカラ漬を作った。
ブラジル戦の時は、何時も試合開始前に花火が打ち上げられるのだが、今日は、その音は、マチダ家には聞こえなかった。
ピリカラ漬を作っている間、花火の音はなかった。
7月13日、日曜日。
今日は、「ピリカラ 六歌仙」を10キロ作った。
前のバザールでは、3個しか売ることが出来なかった。
改良に改良を加え、前よりも甘みを強く出し、後からピリッと来るようにした。
隠し味に愛情をたっぷり入れておいた。
さて、雪辱なるか・・・である。
そして、昨日下こしらえをした、ひき肉でサルガドスを作った。
マーガリン入りの牛乳をヘラで混ぜながら温め、温度が上がってきたら、その中に小麦粉を入れ、かき混ぜて、均一な生地を作り、その中に、ひき肉を入れる作業であった。
生地をのばし、ひき肉をその中に入れ、丁度、ギョウザを作る時のように、小麦粉の端を指で押さえていった。
そして、その上に手造りのパン粉をまぶして後は、油で揚げるだけにした。
形もギョウザにそっくりである。
私は、サルガドスという物は、日本のコロッケに似ているもので、1種類しかないと思っていたが、具の種類が幾種類かあり、しかも、生地も数種類あることがわかった。
ちなみに、昨日作った、鶏肉のみじん切りの方は、違った生地で、ミユキが他の種類のサルガドスを作った。
私が作ったサルガドスは、寿司弁当に入れるサルガドスである。
私の頭には、髪の毛が落ちないように、食堂のおばちゃんが冠っている、白い網の帽子を冠り、前掛けを掛けての奮闘である。
作業場の入口には、手を消毒する桶が用意されている。
明日は、今日作ったピリカラ漬を容器に入れ、蓋に「AMIGO DO ARROS PIRI-KARA ZUKE」の手製のラベルを貼る予定である。
残った仕事は、鯛焼である。
これは、木曜日、金曜日に作る予定である。
さし迫る 七夕めざして ピリカラを
今度こそはと 愛情込める
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