風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第180段
子供達頑張れ
昨日、ワールドカップでブラジルは、ドイツに破れてしまった。
1ヶ月以上も雨が降らなかったグラルーリョスでは、この日、朝から雨が降っていた。
風がなく、静かな雨であった。
ワールドカップが始まり、ブラジルが勝ち進み、おてんとうさんは30℃を超すまでに熱くなり、ブラジルを応援していた。
それが、この日、おてんとうさんは隠れ、空は泣いていたのであった。
ブラジルが負けてしまうのが、おてんとうさんには、わかっていたのか?
そして、この日は、ジンタの45歳の誕生日で、サンパウロにあるジンタのお兄さんの家で誕生日パーティーがあった。
伯とテテと3人で、ジンタのお兄さんの家に出掛けた。
到着は4時半を少し過ぎていた。
ドイツとの試合は、5時のキックオフであった。
私たちが到着した時には、すでに50人ほどの親戚が集まってテレビを見ていた。
8畳くらいの居間と、台所に分かれての観戦であった。
外では、試合開始前の花火の音がしていた。
私は、居間でジンタのお父さんの隣に座って観戦することにした。
テレビに目をやると、テレビの画面は、ブラジルの幾つかの都市のサポーターが盛上がっている姿を映した次に、サンパウロとリオデジャネイロの道路の様子を映した。
そこには、車が全く通っていない幹線道路があった。
ジンタのお父さんが、「こんなに車が通っていない道路を見た事がない。」と、日本語で私に話してくれた。
物流のトラックの姿もなにもない道路の映像であり、ブラジルの人が、テレビにくぎ付けということが良くわかった。
ワールドカップが開催し始めた頃は、高速道路などが渋滞していたが、ブラジルが勝ち進むにつれて、キックオフの時間には、テレビの前に来れるようになったようだった。
テレビ君、大忙し・・・。
私たちは、テレビを見ながら、順番に回ってくるポップコーン、ポテトチップス、ピーナッツを器から取り、食べていた。
ジンタがビールを皆に勧め、配っていた。
子供も混じっていて、ジンタの甥で小学校2年生のブルーノは、15センチくらいのラッパを口にくわえ、ブーブーやっていた。
キックオフと共に、大きな歓声で、ブラジルを応援しはじめた。
ジンタの親戚は、フッチボールクラブに入っている人が多く、フッチボールをこよなく愛している。
ブラジルのチャンスでは、大きな歓声が、一段と大きくなった。
1点をゴールされてしまった。
まだまだ、歓声は続いた。
2点目、3点目。
歓声が、だんだん悲鳴に変わってしまった。
言葉が少なくなり、ラッパの音もなくなってしまった。
ジンキチのお兄さんが「ブーラジル・・ブーラジル」と大きな声で応援し始めたら、それに合わせて、皆も応援をし直した。
それも、途切れ途切れになってしまった。
歓声は、ブラジルのせめてもの一1点が入った、試合終了間際だけであった。
試合終了の笛・・・。
ブルーノは両膝まげて、その両膝を両方の腕で抱え、床に座ったままであった。
時々、左の腕を目に当てていた。
うつむき加減で、声を出さずに泣いていたのであった。
テレビも涙を浮かべた少年を移していた。
試合終了の花火が、家の近くで鳴り始めた。
その音が、今迄の音と違い、何処か、せつない気持ちに私をさせた。
沢山のブラジルのフッチボール少年が、泣いている気がした。
泣けよ、思いっきり、少年たちよ!
この悔しさを、胸に。
鍛えに、鍛えて、何時の日か、ブラジル代表になり、ブラジルのユニフォームの胸の輝ける星の数をもっと、もっとふやそうではないか・・・!
頑張れ、ブラジルのフッチボール少年たちよ!
歴史的 敗北するが 忘れまじ
少年達の 夢はこわれず
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