風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第163段

1年ぶりの味

 伯の美容師養成学校があるヘプブリカに2人で出掛けた。

 朝6時半に家を出発し、1時間半でヘプブリカに着いた。

 今日2人でヘプブリカに来たのは、4月に確定申告でお世話になった会計士のマウリシオ氏にお礼をするためであった。

 ブラジルの確定申告は4月末までのようである。

 4月に入り、マチダ家がお願いしている会計士に、私の確定申告もお願いし、相談をした。

 相談していると、私の思っていることと異なった見解が生じてきた。

 日本の税法を、私は細かく知っているわけではない。

 ましてや、ブラジルの税法は全く知らない。

 しかし、納得がいかない解釈であった。

 どのようなことになったか、詳しくは書かないことにするが・・・。

 納得がいかないから、他の税理士にも相談をかけたいが、ブラジルの会計士を私が知る由もない。

 私の気持としては、「貴方は、癌です。」と宣告され、「ほんとうに?」と疑い、他の医者にも見てもらおうとする気持と同じであった。

 本当にこの会計士のいうことが正しいのか?

 私が話かけることが出来るのは、角田君だけである。

 角田君に電話を入れ、角田君の知り合いの会計士を紹介してもらおうと考えた。

 電話の結果が、あの「ビックリ再会」の時のように、またビックリであった。

 何と、角田君のお嬢さんのお婿さんが会計事務所を経営されている会計士とのこと。

 また、マウリシオ氏はその事務所をヘプブリカに構えて見えて、ヘプブリカの地下鉄の駅を挟んで北に行くと、伯が通っている美容師養成学校があり、南へ行くと、マウリシオ氏の会計事務所で、駅から徒歩で15分ほどのところにある。

 こんなにトントン拍子で話が進んだのである。

 しかも、マウリシオ氏の事務所に伺い、確定申告をお願いしたら、納税については、私と同じ意見であり、私は納得することが出来た。

申告書を作成していただき、税務署に提出していただいた。

 「私は、癌ではなかったのだ!」

 愛知県人会入会の時の再会、そして、この納税の経緯といい、きっとブラジルに移住した私を風達が私の行動に、適切な指針を与えてくれていると思いたい。

 

 伯と昼の食事を済ませ、マウリシオ氏の事務所に伺った。

 マウリシオ氏と笑顔で握手をした。

 お礼と、来年もよろしくとお願いすることが出来た。

 

 話を午前中に戻します。

 午前8時にヘプブリカに着いたが、伯の授業は9時からで、事業が始まるまで1時間の余裕が出来た。

 買いたいものがあるわけではない。

 それでも、時間があるから、ゆっくりと店を見てまわった。

 店に入ったのは、ネックレス等のアクセサリーを売る店であった。

 客は、女性ばかりで、爺さん、すぐに外に出た。

 街中は、大きな街路樹が影を作り、道脇に作られた温度計は、23℃を表示していた。

 緩やかな風が、街路樹の枝を優しく揺らし、街ゆく人は、まだ半袖の人が多かった。

 おそろいの柄のペアールックで手をつなぎながら歩いて行く若いカップルもいた。

 歩道を人が途切れなく、行き来している。

 名古屋の栄くらいの人波である。

 6車線ある車道を車が駆け抜けて行く。

 信号で止まっていて、信号が青に変わると、我先にオートバイがスタートし、駆け抜けて行く。

 オートバイは結構多い。

 小さな荷物をオートバイで届ける仕事をしているかも知れない。

 少し経つと、伯が何も買わずに店から出てきた。

 まだ時間は、たっぷりある。

 学校の近くまで行き、小さなレストランに入った。

 サンパウロやグラルーリョスでは、街中に小さなレストランが沢山ある。

 レストランと看板に書かれてあるが、日本流に言うと、小さな食堂である。

 それも、日本では、ラーメン屋、すし屋、うどん屋とか、色々な食べ物の店があるが、ここでは、サルガドスやパステルという、揚げ物の店ばかりで、隣もまたその隣も同じ様である。

 それが、隣同士であるとか、3軒離れているとかいった具合に並んでいる。

 伯は大きめサルガドスを1つと、コーヒを2つ注文した。

 サルガドスは、1人で1つは大きすぎて、2人で半分ずつ食べた。

 食べながら、ゆっくり話をした。

 やはり、バザールの話が多かった。

 9時近くになり、伯は学校に行き、私は街中を散策するために別れた。

 別れ際に伯は私に、「人通りの少ないところには、行かないこと!」と念押しした。

 伯が受ける授業が終了するまで3時間あった。

 ぶらぶらと街中を歩いた。

 歩道に敷物を敷き、ブラジル風のネックレス、キーホルダー、木を彫った人形等を並べている。

 ここでもゆっくりと見て回ったが、買う気にはならなかった。

 駅前の大きな公園に行くと、南米風の音楽を鳴らし、CDを売っていた。

 公園の中のベンチに座り、音楽を聴いた。

 「ああ、ブラジルにいるのだなあ・・・。」

 落ち着いた気持になることが出来た。

 公園を南から北にぶらり、ぶらりと横切った。

 なんと・・・!

 目の前に・・・!

 「牛丼のすきや」の看板・・・!

 おっとっと・・・!

 こんなところに「すきや」が出店している。

 歩道から覗いてみると、客はいない。

 店の前に掲げられた商品の写真を見ると、日本のメニューと同じものが多い。

 しかし、日本より少し高い。

 私は、高浜にいたときも、東浦にいた時も並で安い「牛丼」を買ってアパートまで持ち帰り、よく食べた想い出があり、それが甦った。

 「今日の昼飯はこれだ!」

 1時間半ほど散策した。

 駅の周辺4百メートルくらいのエリアで、人通りの多いところばかりを歩いた。

 以前、伯が絵の道具を買った絵具店が並ぶ街に行き、売り物の絵を見て回った。

 点描で書かれた、風景の絵があり、その細かい技法に驚いた。

 1時間半ほど歩き、伯のいる学校に入った。

 私は「ボン ジヤ」と言って、前もってポルトガル語で、伯に書いてもらったメモを受付に渡し、読んでもらった。

 「私の妻が、美容師の授業を受けているので、待たせてもらいます。」という文章であった。

 窓口の人が、入り口に近い椅子が並んでいる方に指をさしたので、そこに掛けて休むことにした。

 時間に余裕があると思い、「漬物の本(日本から持ってきた伯の荷物に入っていた物)」を用意してきたので、それを開き、読み始めた。

 暇つぶしに読むだけで、しっかりと読みはしなかった。

 1時間ほどで、終わりまで読んだが、「これだ!」という素晴らしい漬物は見当たらなかった。

 家庭で作る、シンプルな漬物が並んでいた。

 後は、伯は戻るまで、ボケーっとしただけであった。

 伯の授業が終わり、「すきや」の事を話し、食べに走った。

 気温が上がり、道脇の温度計は、三○℃を表示していた。

 それでも、急ぎ足で「すきや」に向かった。

 「いらっしゃいませ。」

 日本語であった。

 店員を見ると、日系人はいない。

 でも、「いらっしゃいませ。」の日本語の挨拶であった。

 競争相手のチェーン店があるわけでないから、高くても売れるのであろうか。

 日本円にして、一150円ほど高いが、「牛丼の大」を注文した。

 それでも、リベルダージのラーメンやうどんなどと比べると、格安である。

 マクドナルド等と同じように、カウンターで品物をもらう。

 「赤しょうが」がない。

 「生たまご」がない。

 「唐辛子」はあった。

 箸が付いている。

 食べてみた。

 懐かしさが走った・・・。

 お米は、日本はねばりがあるのに対し、ブラジルのお米は、パサパサしている。

お米の芯が少し残っているような感じである。

 具のほうは、それはそれは感動を覚えるほどで、日本の味のまま・・・であった。

 1年ぶりの味であった。

 店には、5人の客が食べていたが、日系人は1人だけで、他は日系人ではなかった。

 24時間営業はしていないようだ。

 メニューにカレーがあったので、今度来たら、これを食べてみよう・・・。

 食べ終わり、店を出ようとすると、店員の言葉。

 「ありがとうございました。」

 日本語であった。

 でも、店員には、日系人は1人もいなかった。

  

       懐かしき 牛丼眼の前 感動す

           食べてその味 再度の感動

青信号になると我先に飛び出すバイク連。

ヘプブリカの「すき家」、ブラジルでも安くておいしいです。

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