風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第164段

忘れられない笑顔

 今日は、「母の日」である。

 庭に咲いた小ぶりの白い薔薇を伯が切り、一輪差しに差し、おふくろの位牌の横に飾ってくれた。

 そして、おふくろには初めてであるブラジルのスポンジケーキをお供えした。

 ブラジルのお母さんには、伯がお小遣いを渡した。

 ブラジルも日本と同じ日が「母の日」である。

 おふくろが健在であった頃の「母の日」でも、おふくろが好きであった稲荷ずしと花を買ったくらいで、私は、充分なことをしてはやれなかった。

 

 親父が逝ってから、おふくろは1人暮らしであった。

 そして、そのおふくろの心を支えていたのは、私の妹であった。

 妹は、知立市に嫁いでいるが、おふくろが1人で生活をし始めてからは、週に3日、知立市から高浜市まで、車で来ておふくろの相手をしてくれていた。

 それは、おふくろが逝く1年前まで続き、20年余りも続いていた。

 おふくろの話を聞いたり、一緒に買物に出かけたりしてくれていた。

 私とおふくろが2人でアパートを借りて住みはめてからも続いていた。

 私は、朝、会社に行き、夜、帰宅して寝てしまうという生活で、おふくろの面倒は、妹が見ていて、妹がいなかったなら、おふくろの生活があったのかとも思っている。

 妹の娘と、その娘の子(女の子)が、良く遊びに来てくれて、来てくれると、いつもおふくろは笑顔であった。

 本当に、有難かった。

 これは、「母の日」のことではないが、想い出深い或る1日の事を、書いておこう。

 おふくろが、右足大腿骨を骨折し、手術とリハビリを終え、退院して来た時の1日の出来事である。

 鎌倉に住む兄が、来てくれた。

 私とおふくろが住む高浜の町の「名鉄三河線、三河高浜」に着いた。

 大きなリュックサックを背に、杖をつきながら駅構内の階段を上ってきた。

 近づくや笑顔。

お互いに握手をした。

 リュックサックには、おふくろ、私、妹へのお土産が入っていた。

 食事をし、話が弾んだ。

 骨折し、リハビリをし、また歩くことが出来るようになり、兄は「良く頑張った。」といって、その回復ぶりを喜んでいた。

 

 おふくろ、兄、妹、そして私の4人で安城市和泉町にある「丈山苑」に出かけた。

 このあたりは、おふくろのお父さんが開墾した処かもしれない。

 おふくろの好きな場所であった。

 抹茶をいただき、ゆっくりと庭を眺めた。

 秋で、庭は紅葉が見事に赤く染まっていた。

 おふくろは、目の前の庭の片隅に咲いていた「ほととぎす」に目をやっていた。

 紫色に咲く可憐な「ほととぎす」をじっと、見つめていた。

 その表情は、頬笑みをみてとれ、ゆったりとしていた。

 「ほととぎす」に何やら優しく語りかけているように見えた。

 おふくろが見せた優しい面影は、おふくろが忘れずに持っていた「乙女心」の表われ。

 私は、忘れることはできない!

 そして、安城市歴史博物館へ行った。

 おふくろの生家や、おふくろのお父さん、そしておふくろの兄が働いている写真が展示されていた。

 おふくろの生家の模型が作られていて、その屋敷の庭で、絣の着物を着た幼い2人の女の子の人形が、石けりをして遊んでいた。

 私は、おふくろに「あんたと姉さんが遊んでいるよ。」といったら、おふくろは、目を丸くし、その女の子をじっと見つめた。

 真剣な眼差しであった。

 じっと見ていた。

 まだ、見ている。

 おふくろは、自分の幼い頃を思い返しているようであった。

 やがて笑顔になった。

 その笑顔、私は忘れることはできない。

 おふくろと、兄弟3人の最後の懐かしい想い出である。

 たらちねの 心安らぐ 丈山苑

          またほととぎす 清らに咲くべし

       ゆらゆらと 散りし紅葉 やさしくて

          座りし母の 膝に眠らん

丈山園寸景(1)

丈山園寸景(2)

丈山園寸景(3)

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