風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第161段

ピリカラ漬が惨敗

 4月4日、7時。

 朝霧の中を、赤いフィアットでサンパウロの東の郊外のパトリアルカに向けて出発。

 20メートリほど先が見えないくらいの霧であった。

 高速道路で、危険であり、テテに運転を頼んだ。

 日曜日であり、車は少ないが、前方を走る車のテールランプが見えるだけといってもよいほどであった。

 30分ほどでバザールの会場に到着した。

 霧は、殆ど晴れて、爽やかな日和になりそうな朝であった。

 パトリアルカの会場は、街中の住宅地の一角にあり、古い体育館を使ってのバザールで、30店くらいが出店していた。

 店番は、伯と私の2人であった。

 幅1メートルのテーブルに商品を並べた。

 「ミニパンダ」は、「ベベパンダ」と改名した。

 鯛焼の味は、カスタードとあんこで、変わりはない。

 まだ、鯛焼が知れ渡ったとはいえないと思っている。

 店の前を歩く客に「エスペリメンタ」と、試食を誘い、買ってもらった。

 完売とまでは行かなかったが、閉店後に計算したら、93%の売れ行きであった。

 これで、3度目のバザールへの出店であったが、どのバザールでも3時過ぎには、客が殆ど来ないということがわかってきた。

 それと、販売進捗表を分析すると、このようなバザールでは、1日に売れる数は、鯛焼、ベベパンダ焼を合わせて200個程度と判断した。

 鯛焼、ベベパンダ、それにカスタードとあんこの割合を変えていかなくてはならないとも思いはじめている。

 5時に閉店のバザールでは、3時までが勝負で、3時以降の売り上げは0と考えて、完売を目標にした方が得策と思うようになっている。

 少しづつでも、鯛焼がブラジルに浸透していくように頑張ろうと思う。

 歌謡界の歌謡大賞やプロ野球の世界で、新人賞を貰い、人々に知れ渡り、その後すぐに、あの歌手、選手は何処に行ってしまったとならないように・・・。

 そして、鯛焼がひばり、裕次郎、長島茂雄になるように、頑張っていきたい。

 売値は、当初考えた売りの60%くらいに設定していて、捕えたタヌキの皮算用が出来ず、捕えたタヌキは、私の部屋から見える、西の山に逃げていってしまったようだ。

 でもまた、捕えて皮算用をする日が来ることを願って・・・。

 さて、日本名、「キュウリのQすけ」、ブラジルでの名は、「ピリカラ漬」と名付けたが、これが、全く誤算であった。

 サンミゲルでの出店の際、寿司、ちくわ、さつま揚げなどを売りまくっていたおばちゃんに習って先ずは、漬物と思い、ピリカラ漬を作り販売してみた。

 私が1人で、2日をかけて作り、21個の瓶に分けた。

 製法は、企業秘密である。

 マチダ家では、お母さん、ミユキが試食し「美味しい」と言って食べたピリカラ漬である。

 バザールの試食でも、「美味しい。」と言ってくれるが、買ってはもらえない。

 斜向かいの出店では、「福神漬」が売られていて、少しずつでも、売れていた。

 サンミゲルの時も斜向かいの店で福神漬が売られていて、この福神漬が良く売れていた。

 この福神漬に対抗しようとピリカラ漬を作ったのであったが、惨敗であった。

 試食をしてもらえるだけで、買ってはもらえない。

 「美味しい。」と言ってはもらえるのに・・・。

 21個用意した内の3個しか売れなかった。

 福神漬のように、ブラジルですでに名前が売れているのではないから、売れないのか? 

 社交辞令のように「美味しい。」と言ってもらっているだけなのか?

 ブラジルでは、このピリカラ漬の味が合わないのか?

 今後の展開を考えなくてはならない・・・。

 諦めてはいけないと思っている。

 何年もかかるかわからないが、福神漬のように「メジャー」になろうではないか!

 

 バザールが終わり、私の運転で、帰宅した。

 初めての高速道路を通っての運転であった。

90キロの速度制限があるところを、80キロくらいの速度で走って帰った。

 追い越していく車を、「シャク」に思わずに、「老人的安全速度」を守り、ピリカラ漬が思うように売れなかった事等を話しながら・・・。


       鯛焼が 泳ぎ始めた ブラジルで

            ピリカラ漬を 爆発させるぜ!

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