風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第151段
レールは敷かれた
4月の2日目。
朝8時半、伯と2人で、サンパウロに出かけた。
家の近くの停留所で、アルメニア行きのバスを待った。
停留所の後の広場に、雑草に混じって、背の高いたんぽぽがあちらこちらに咲いていた。
たんぽぽが足元に咲くくらいに近づいたら、たんぽぽに3センチほどの薄茶色の「バッタ」がとまっていた。
靴でバッタに触ったら、元気よく跳ねて、草むらに消えて行った。
グラルーリョスの「小さな秋」であろう。
地下鉄でアルメニアから「セ」まで行き、乗り換えて「ヘプブリカ」まで行った。
アルメニアからセまでは、4駅、セで乗り換えて、ヘプブリカまでは、2駅である。
ヘプブリカの駅前には、大きな公園があり、太い樹が沢山植えられ、少し暗くゆったりとしている。
掃除をする人、そして、ベンチに座り、話をしている人たちもいる。
街中には、絵具やキャンバス、そして、絵画を販売する店が軒を連ねている一画がある。
街並みも、中世の建物であろうか、何処か芸術の街のように見える。
伯は、チューブに入った白い油絵具と、絵具に混ぜる油を買った。
伯がリベルダージの文化協会の絵画教室に通い始めて、1ヶ月が過ぎている。
買物を終え、今日の目的のビルに向かった。
駅から歩いて五分ほどのところにあるビルを目指した。
「TERUYA」と書かれた一14階建てのビルに着いた。
「美容師養成学校」である。
この学校は、1965年に日系人が開いた伝統のある学校で、伯は、ここに入学の手続きにきたのであった。
昨年、不動産取引業を引き継ぐという計画が途切れてしまい、その後、幾つかの仕事をしたいと、調べたり、従兄弟たちに聞いたりしてきたが、手先が器用な事と、女性でもやり通すことが出来る「美容師」に、伯は決めた。
美容師の資格を取得するのに、週3回に通学となる。
資格取得まで14ヶ月を要す。
月曜、火曜、木曜の午前中の実習である。
月曜は午後、リベルダージで絵画教室である。
リベルダージは、地下鉄のセの駅の隣の駅であるから、午前中はヘプブリカで、午後はリベルダージに通うことは、距離的には問題はない。
帰りの地下鉄の中で、伯は、伝統のある学校に入り、頑張る気持と、不安な気持ちがミックスしているようで、その気持ちを私に話してきた。
私でなければ言えない、私にとって最も自信のある助言をして安心させた。
「何処の、学校に入っても、トップとビリがいる。どんな伝統のある学校でも、くだらない学校でも、ビリはビリ、変わりはない。
やる気を切らさずに、頑張って技能をマスターし、トップになるように。
それと、人間関係を大切に・・・。
私のようなビリはだめ!
煮ても、焼いてももらえない。」
伯は、気合いを入れ直したようであった。
今迄に、ブラジルから日本に仕事を求め来日した日系人のその後の人生は、様々である。
家を買い、日本に永住すると決めた人。
ブラジルに帰り、ブラジルで仕事を始める人。
私と同じ会社で仕事をしていて、お金を貯めブラジルに帰り、パン屋、花屋、タイヤ屋、小間物屋などの仕事を持ち、成功している人達がいる。
小学校の先生やサラリーマン、主婦もいる。
伯も美容師になって、「帰伯日系人の成功者」の仲間に入ろうではないか!
女手1人でコツコツと貯めたお金を投資する方向が決まった。
日本で働く年数が20年を超し、長すぎたかもしれない。
それでも、今が1番若いのだ。
今からの1年の月日の流れの中で、何かと手伝うことが出来ることは手伝ってやろうではないか。
鯛焼と美容師で両輪が決まった
出発進行!!!
長い長いレールの上を、2人して、ゆっくりと、焦らずにやっていこう。
各駅停車で構わない。
とまった駅で話し合い。
やらねばならないことを決め・・・。
たんぽぽが 小さい秋に 包まれて
頑張れ2人と 頬笑みかける
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