風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第131段

ブラジル愛知県人会

 2月9日、日曜日。

 ブラジル愛知県人会の新春の定期総会が開かれた。

 1月初旬に、インターネットのホームページで、愛知県人会の内容を調べ、郵送にて入会を希望している旨を連絡した。

 私のメールアドレスを書いておいたので、メールで連絡が来た。

メールに添付された入会申込用紙に所定事項を記入し、転送した。

 会からのメールで、定期総会と新年祝賀会の案内も添付されていたので、伯と2人で出席したいことを連絡した。

 ブラジル愛知県人会に入り、日系の方の知人を作り、ブラジルでの生活に厚みを加えようと思って入会したのである。

 愛知県人会の会館は、リベルダージの地下鉄駅前の商店街から、400メートルほど離れた閑静な街並みの「サンタ ルチア」という通りにある。

 会館のエントランスは、10坪くらいで、受付が設けられていた。

 その奥に、舞台付きの200坪ほどの大広間がある。

 ちょうど、私たちが小学生だった頃の「講堂」を思い出す造りである。

 天井には、沢山の扇風機が取り付けられ、静かに廻っていた。

 大広間の舞台と反対側には、厨房があり、御婦人が数人で、お茶などの接待をしていた。

 皆さん愛知県のマーク入りの前掛けをかけてみえた。

 大広間の一方の壁は、何処からでも大広間の横に造られた中庭に出られるようになっている。

 石畳で、南国に相応しい観葉植物が数本、植木鉢に植えられていた。

 大広間には、円卓でなく、対面式の並べかたで七列に細長くテーブルが並べられ、200人もの人が座れるようになっていた。

 私と伯は、その真ん中の列の1番入口に近い末席に座ることにした。

 

 定期総会は、この1年の中で、亡くなられた会員の方の名前を読み上げ、1分間の黙祷から始まった。

 愛知県知事のメッセージの代読、会長の挨拶は、日本語で話され、其の後で、ポルトガル語で話された。

 その後は、どの総会でも行われる、収支報告、新役員選出など、全て日本語で進行していった。

 総会の進行は、あらかじめ出席者に配られた「レジメ」の順に執り行われ、「レジメ」は、日本語、その裏にポルトガル語で記載されていて、わかりやすかった。

 

 議事が進行し、終り頃に私と伯が座っていた席から少し離れた場所に座っていた1人の男性が、私の斜めの席に座っていた方と話をするために、私の前の席に移動されてきた。

 日本語で話されていた。

 伊勢神宮の遷宮の話題など、日本の事をよく知ってみえ、楽しく話されていた。

 その会話の話題の相槌を、私の方に向け、「そうだよね・・・。」なんて、話かけてきた。

 私は、笑いながら、今日が初めてで新人であることを話した。

 また、昨日、今日のために作った「名刺」を渡した。

 「今日が初めてです。宜しくお願い致します。高浜市の出身です。」

 名刺を見ながら、「高校は、どちらですか?」と聞かれた。

 「刈谷高校です。16回生です。」

 「私も、刈谷高校です。碧南市の出身です。

角田(すみた)と言います。」との返事であった。

 「・・・・・・・・・・。」

 「・・・・・・・・・・。」

 「あれあれあれ・・・・。」と心で思った。

 「%&$#! 角田さん、鈴木です。久しぶりです。」

 「やはり、鈴木君ですか、名刺の名前に憶えがありました・・・。」

 なんて、ことだ!

 

 こんなところで、しかも、この総会で、始めて話した人が、私の高校の同窓生であるとは・・・。

 角田君は、高校3年生の時に、私と同じクラスで、鈴木、角田で名簿順も隣であった。

 さほど、話したことはなかったが、角田君のことは、恰幅が良く、堂々としていた事を憶えている。

 50年の月日が流れ、一目では判らなかったが、角田君がブラジルに移住していることは、同窓会名簿で知っていた。

 その角田君と、このような再会があろうとは、昨日、いや、先ほどまでは、思ってもいなかった事だ。

 不思議なものだ。

 私がこの会に入会しなかったら再会はなかったであろう。

 この会に入会したから、再会出来たのであるが、それも入会し、話をさせてもらった初めての人物が角田君だったのだ!

 話ははずみ、昔のこと、そして、今の故郷の様子など、楽しい時間を持つことが出来た。

 また、リベルダージやブラジルでの医療(医療保険)の事を聞くことが出来た。

 角田くんは、もう、40年もブラジルで生活している。

 角田君のブラジルでの生活を聞き、話しているうちに、私がブラジルに来て初めてお付き合いをお願いし、今でも、メールで御指導を仰いでいる、コチアの羽嶋さんとも角田君は付き合いがあるとのことが判った。

 世間は、どうなっていることやら、どこかで繋がっているものだと思った。

 昼食、ビンゴゲームなどを楽しみ、帰りは、リベルダージの商店街まで、角田君と一緒に歩いた。

 家に着き、メールを開くと、もう、角田君からのメールが送られてきていた。

 角田君も、私と同じ気持ちで、今日の再会は「ビックリ再会」であったようだった。

 返信をし、今からの友情を宜しくと書いた。

 素晴らしい、忘れられない1日になった。

         ビックリさ 同窓生が 向かい合う

                 誰が突然 再会させるや

 ※リベルダージが「日本人街」から「東洋人街」に名前が変わってしまった大きな原因を私は、2004年に改名された時期に沢山の日系人が日本に仕事に出かけたことと考えてきたが、今日の角田君の話や、他の日系の方々に聞いてきた事をまとめると、やはり、日系2世、3世の方たちが、それぞれの仕事を持ち、ブラジル社会に溶け込み、リベルダージの店を閉め、ブラジルの社会に入って行き、そこに中国人、韓国人が移住してきた。

 インターネットに書かれていることは、私がリベルダージの改名の理由を聞いてきたことと差異はない。

 これが、間違いのない改名の理由と結論を出します。

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