風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第125段

おふくろの事 兄との違い

 私の3番目の兄は、若い頃から詩を創り、本を出している。

 私は、兄の本を読んだことはない。

 インターネットで、兄の事を検索してみたことがある。

 兄の執筆である本の紹介もあった。

 その本に書かれている文章を抜粋して、本を紹介していた。

 どうやら、兄本人の生きてきたことが、書かれているようであった。

 抜粋された短い文章の中に、おふくろのことも書かれている。

 兄のおふくろへの愛情がどのようなものであったかは、私がおふくろを思う気持ちとは、全く違う。

 全く違うことは、明白である。

 ただ、書いておくが、兄がおふくろへの愛情を持っていなかったと言っているのではない。

 持っていたかどうか、私にはどちらでもよいことである。

 持っているなら、勝手に持っていると言っておればよい。

 私のとっては、さほど重要なことではない。

 兄は「・・・・・・・・」で、「・・・・・」である。(昔、歌謡曲で、歌詞を声に出さずに歌っていた歌手がいたが、その表現方法を拝借した。)

 

 おふくろの事が書かれている。

 わたしのおふくろとは違う。

 あのような文章では、兄はおふくろと雲の上で笑って話しはしていないはずだ。

 顔も出していないはずだ。

 文学を私は知らない。

 兄が、自分の生き方をどのようにしたか、どのように表現したかは、どうでもよい。

 私が見たことがない兄が文章の中に居続けているようだ。

けれども、それを問題にしているわけではない。

 勝手に書いておればよい。

 

 ただ、「おふくろ」に関して書いた文章が、本当であると思われることが耐えられない。

 短歌を読む気にもなれない。

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