風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第108段
自動車運転免許証
やっと、ここまできた。
本当に、やっとのことである。
自動車運転免許証。
話すと長く、複雑である。
うまくまとまるか?
とりあえず、書きはじめてみよう。
もう何ヶ月経ったであろうか?
車を買う前に、インターネットでブラジル日本領事館のサイトで、ブラジルでの運転免許証の取り方を検索したがよくわからなかった。
車を買った後で、サンパウロの交通局に行き、申請の方法を聞いた。
外国人が免許証を取得するための申請書を、警察で作成してもらうということで、サンパウロの警察本部に行き、申請書を作成してもらった。
もう、1ヶ月も前のことである。
申請書を作成してもらい、インターネットで、交通局に行く日を予約した。
私の現住所は、グラルーリョスであり、サンパウロの交通局での予約でなく、グラルーリョスの交通局での予約となった。
グラルーリョスの交通局は、サンパウロの交通局の出先機関で「ポーパテンポ」と呼ばれる建物の中にある。。
予約の日と時間を見計らい、伯と2人でグラルーリョスの交通局に出かけた。
サンパウロの交通局で教えてもらった日本での免許証の翻訳、サンパウロ警察で作ってもらった申請書、パスポート、身分証明書、個人番号が記されているCPFのコピーを用意し、案内係に提出をした。
提出した書類に係員が目をとおした後に席を立ち、上司のところに書類を見せに行った。
係員が上司に何やら聞いて帰ってきた。
伯に待合の番号札を渡し、待合場所を指示した。
伯と私は、書類と番号札をもらい、指示された待合場所のベンチに腰をかけた。
待合場所には、番号を表示するモニターがあり、自分の番号が表示されるまで待つ。
私の番号は、表示されている番号より、50番ほど大きい番号だった。
沢山の人が、順番の来るのを待っていた。
30分ほどで、順番が表示された。
窓口へ行き、書類を係員に提出した。
係員は、20歳くらいの女性であった。
書類を見るや、隣の係員に話かけた。
何やら話しているが、まとまらないようであった。
そして、奥の席にいる、年配の係員に書類を店に席を立った。
きっと、上司であろう。
私は、どうしてモタモタしているか、少しイライラしていた。
伯は、何も言わない。
5分ほどで、係員が戻ってきた。
若い係員は、「あなたは免許証が無いと同じです。全てのことをやって下さい。」
そしてこの若い係員は、「外国人の申請は、私ははじめてよ。」なんて言っていた。
全ての事とは、視力検査、適性検査、自動車学校での20時間の運転の練習、ペーパーテスト、そして、交通局での運転技能のためのコースでの試験である。
どういうことなの?
爺さん、強烈なアッパーを喰らい、完全にノックアウトである。
伯と2人で、トボトボと帰路に着いた。
なんで?
おかしいではないか?
私は、サンパウロの交通局で聞いた、「外国人だからといって難しくはない、簡単に免許がもらえるから心配はいらない。ポルトガル語は、会話できなくてもよい。」という言葉が頭に残っていた。
何かの間違いか?
グラルーリョスは、外国人の扱いを知らないにではないか?
面倒だから、免許を所持していないと同じ扱いにしておけば間違いないのか?
帰宅した後も、なんだかしっくりせずに、グラルーリョスの扱いに対し、疑問を持った。
ポルトガル語でペーパーテストを受けるなんて、到底合格するはずがない。
五者択一、75%以上の正解率。
爺さんにできる訳がない。
もう、だめか・・・。
ただ、納得がいかない・・・・・ぞ!
サンパウロの交通局の係員が恋しい。
あの係員の、「外国人は、簡単よ。」という言葉・・・!
「もう一度、サンパウロの交通局へ行こう!」
伯に相談したら、「グラルーリョスに現住所があるから、サンパウロでは受付をしてはもらえない。」と言葉が、返ってきた。
・・・・・・・・・・
「サンパウロに住んでいる親戚の家に住所を移すことはできないか?」と、私は、提案した。
「簡単に出来るよ。」だって・・・さ。
私が、サンパウロの親戚の家に住んでいる、という書類を作成し、親戚にサインをしてもらい、公証人役場のような処で証明する印をもらい、その家の最新の電気料金の領収書を添付すれば、私の現住所は、サンパウロということになるようだ。
日本のように、市役所に行き、転出、転入の手続きなどしなくてよい。
とにかく、書類を作ってしまいました。
あとは、あの簡単に取得できると言った係員の言葉を信じて、爺さん、行動するだけ・・・。
うまく行け!
インターネットで、また予約する。
サンパウロの交通局の予約は取れた。
そして、伯と2人で、いざ、サンパウロ交通局へ出かけたのである・・・。
サンパウロに現住所があるという証明書と一緒に、グラルーリョスで、取り扱ってもえなかった書類を、全て提出した。
10分ほどすると、別の男性の係員が「ミツアル」と、名前を呼んだ。
A5判の用紙に、現住所(サンパウロの住所)と、今日の日にちと自署で名前をサインをするように指示された。
現住所は、別の紙に書かれた親戚の住所を見ながら、爺さんは必死で書いた。
丁寧に、ゆっくり・・・ゆっくり。
間違えずにかけたようだ。
その用紙を提出した書類にクリップでとめ、待合の番号札と一緒に係員は、伯に渡した。
「これでよい、間違いない。」
そう思いつつ、モニターに番号が表示されるのを待った。
待ち時間、5分、番号が表示された。
窓口の椅子に座った。
身分証明書のオリジナルと書類を提出した。
係員は、全ての書類に目をとおし、交通局の大きな印を、1枚1枚、書類の裏に押した。
受付済の印である。
「やりました・・・。」
爺さん、本当に、嬉しい・・・。
嬉しさのあまり爺さんは、あの「簡単よ。」といった女神は何処か、見まわしたが見当たらない。
女神に両手の親指を立て、「やったぜ!」と合図を送りたい、そんな気分であった。
「簡単よ。」の女神、ありがとう!
次は、コンピューターに私の個人情報を入れるための窓口へ行った。
CPFの個人番号などを、入力したようだ。
写真を撮り、手の指10本の指紋の登録であった。
残った作業は、街中の自動車学校で運転の練習をし、最後に交通局で、コースの運転をするようだ。
爺さん!ポルトガル語のペーパーテストは、ありませんよ!
よかった・よかった・・・。
本当によかった・・・。
後日、自動車学校にテテと伯と3人で行くことにした。
ブラジルの自動車学校は、街中に沢山あり、運転の練習のためのコースは学校としては持っていない。
街中の道路を使って教習をする。
3人で行くことにしたが、サンパウロの自動車学校でないとだめではないかと話合ったが、とりあえず、マチダ家に近く、テテの知り合いの自動車学校に行くことにした。
伯の運転で自動車学校に行き、話を聞いた。
サンパウロの交通局で受付をしたことを話した。
サンパウロで受付をしたら、やはり、サンパウロの自動車学校で教習しなくてはならないと、教えてもらった。
また、サンパウロとグラルーリョスでは、免許の取り方が違うことも、教えてもらった。
グラルーリョスの交通局が言っていたことは、間違いではなかった。
免許証を取得していても、取得していなくても,初めから全てをやらなければ、グラルーリョスでは、免許はもらえない。
市によって、取得方法が違うとは、お釈迦さまもビックリされているであろう。
またまた後日、サンパウロでも、マチダ家から近い自動車学校を捜し、また、3人組で出掛けた。
近いといっても、車で30分余りのところである。
そして、ここでも、またまた、何のこと?
自動車学校での説明は、「教習時間が、何時間になっているのか、交通局に行って聞いて来てくれ。
外国人を教習したことがないですよ・・・。」
自動車学校から、交通局に電話をするなり、聞いてくれてもよさそうに思った。
交通局は、自動車学校で今後のことを聞いてくれといっていたはずだ。
しっかりしてくれないと、爺さん、しまいには、怒るよ!
何も進展しないまま、帰宅であった。
帰宅して、突然伯が、「リベルダージの自動車学校を捜してみる。」といい、インターネットで捜した。
「リベルダージ自動車学校」という学校があり、伯はそこに電話をした。
電話の内容は、思ってもいなかったことが、ここで判った。
簡単な知能試験、視力検査、2時間の運転の実技教習、それを終えたら、交通局で運転の実技試験。
これだけです。
日本語が判る実技の教員もいるとのこと。
日系人を多く教習しているとのことであった。
伯ちゃん、オブリガーデン。
そして今日、リベルダージ自動車学校に伯と2人で行って来た。
初めに私がビックリしたのは、学校の事務員に書類を渡すと、書類の確認後、コンピューターに向かった。
コンピューターで、交通局のサイトを開き、きっと私の個人番号を入力したと思うが、私の顔写真や個人情報が、画面に出てきた。
先日、交通局で入力されたデータや、その時に撮った写真である。
交通局と自動車学校が、インターネットでデータを共有していることがわかった。
何を入力しているのか、判らなかったが、何か入力していた。
2時間の教習費用を支払った。
3万5千円であった。
高いではないか・・・。
そして、交通局に実技試験のための費用を銀行からの振込でよいから、支払うように指示を受けた。
そして最後に、視力検査と運転の適性を知るための簡単な試験を受けることのできる眼医者を紹介された。
学校を出て、リベルダージにある銀行に行き、交通局での実技試験の試験料を振り込んだ。
2千5百円であった。
銀行での振り込みを終え、次は視力検査である。
リベルダージの駅から4つ離れた駅のアナ ホーザというところまで地下鉄で行った。
途中、私にとって生まれて初めてのことに出くわした。
地下鉄で「どうぞ、お座りください。」
40歳くらいの女性から座席をゆずってもらったのである。
実は、1週間前に床屋に行き、髪を染めずにいて、髪はゴマ塩どころか、白髪に近かったのである。
お爺さんが、お爺さんに見られただけのことであるが、複雑な気持がした。
始めて席を譲ってもらった、人生で記念すべき日なのだ。
眼医者に着いた。
窓口などで働いている人は日系人で、日本語が通用した。
自動車学校は、そのあたりは考慮してくれているようだった。
先ずは、適性検査をした。
小学校、中学校でやったことがある知能試験のようなものであった。
初めの方の問題は簡単で、爺さんはすらすら解くことが出来た。
問題は30問であったが、進むにつれて、爺さんは、さっぱり判らなくなってしまった。
試験官の日系人は、日本語がうまく、爺さんが困っていると、適切にアドバイスをしてくれた・・・。
適性試験は、絵で描かれただけの問題であった。
試験の中にポルトガル語がなかったということは、幸運であった。
適性試験を終え、視力検査をした。
アルファベットが同じ大きさで3個並んで同時に表示された。
アルファベットの発音は、英語と違うが、ポルトガル語で答えることが出来たと思っている。
眼医者は、和やかに伯と会話をしていた。
「だいじょうぶだよ。」とでも言っている雰囲気であった。
この検査の時も、交通局とインターネットで繋がっていて、私の顔写真がモニターに映し出されていた。
ブラジルでは、何かとことを進めるには時間のかかることが多いが、個人情報で個人の背番号制は、沢山の分野で活用され、仕事をスムーズに消化しているように見えた。
検査を終えた。
再びリベルダージの自動車学校に戻った。
結果を確認してもらい、実技教習の日にちを決めた。
11日水曜日に1回目の教習と決まった。
左ハンドル、左側通行。
爺さん、だ い じ ょ う ぶ か・・・。
あれこれと わからぬままの 免許証
もうあと少し 全力だすぜ!
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