風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第104段
秘密兵器登場
私が今、日本にいたとしたら、どのような人生を歩んでいたであろうか・・・?
JAで畑を借り、自分が食べるだけの野菜を作り、週に3回、太極拳の教室に通い、買物をし、ひと月に1回の病院通い。
私が今、日本にいたとしたら、小川の桜並木を1人で歩いているはずだ。
そして、10年前に何年も続いた、コンビニ通いと外食生活。
これで、血糖値が高くなり、健康を損ねてしまったのであった。
私が今、日本にいたとしたら、また、この外食生活が始まっていたことであろう。
伯はブラジルに戻り、私1人の生活になっている。
寂しい人生になっていると思う。
それに比べ、ブラジルに来て、この人生を歩むことができたのは、幸運であったとしか言いようがない。
お母さんの一言であった。
感謝している。
日本にいた頃は、定年退職したあとは、健康第一だけを考えていた。
それが、ブラジルに来て、健康だけでなく、大きな目標、「夢」を持つようになっている。
「真剣に目の前のことを考えない奴は、夢を語る資格はない。」と、いつか見た、テレビドラマの中のせりふ。
そんなせりふが、私の心に甦ってきた。
「やってみよう!」
秘密兵器の名前は、「鯛焼」である。
日本にいた頃に、伯が「ブラジルには、鯛焼はない。売れると思う。」と言っていた。
「鯛焼」の鉄板と、ガスこんろなどを日本から持ってきている。
ブラジルに来て、あちらこちらのフェスティバルにいったが、「鯛焼」を売っている露店は、伯が言っていたように無かった。
今川焼は、リベルダージで売っていて、買って食べたことがある。
そんな様子で、私と伯は、「鯛焼」を1番初めにブラジルに持ち込んだと思っている。
おまけに、「パンダ」の格好をした、人形焼きも持ってきている。
この「鯛焼」を、如何にブラジルに定着させることができるかと、伯と一緒に、考え、頑張っていく覚悟である。
「ブラジル風鯛焼」である。
目標は、大きく持とうと思う。
目標は、「リベルダージ進出」である。
リベルダージのように、観光客を集め、また、休日の遊び場として集客する力を持っているところは、他にはあることを、私は知らない。
この集客力を無視することは、出来ない。
この目標は、私にとって、最後の仕事になると思う。
やれるか、やれないか、やれるという保証は、何もない。
いまから、一歩、一歩である。
何年かかるかわからない。
リベルダージの露店商の権利を取得することは、非常に難しい。
露店を管理する市役所の話では、募集はしていないとのこと。
また、露店を拡張するということもない。
露天商に穴が開いた時に、うまくいけば出店できるということだけである。
行政の管轄ではなく、誰かが取り仕切っているようだ。
出店は、非常に難しい。
リベルダージに行った時は、何処か空き店舗がないか、見ているが、全くない。
あれや、これや、リベルダージに、「鯛焼くん」を送り込む方法を、伯と2人で話し合っている。
リベルダージ進出と同時に、「鯛焼」のリベルダージでの存在をどのようにするかも、模索中である。
幾万とある、食べ物の中の競争である。
今、ここでは書かないが、「鯛焼」の存在をどのようにアピールするのか・・・。
少しずつ、固まりつつある。
馬鹿でかい「夢」である。
けれども、持ち続けて達成させようと思う。
リベルダージ以外での、露天商を営む権利も、探っていかなければならない。
また、他にも販売ルートを作ることができるのか・・・。
マチダ家では、小さな食品工場が出来上がりつつある。
厨房セットが入り、冷凍庫は中古であるが、もう入っている。
日本からの船便で届いた、厨房器具やテーブルなど、日本で荷造りしたダンボールから、やっと、出ることができたのである。
長い間、窮屈でごめんなさい。
懐かしいものばかりである。
後は、先日購入した、冷蔵庫だけである。
「鯛焼くん」の試作をはじめるのも、もうすぐである。
糸口を 如何にさがすか 御老体
夢は遥かな リベルダージに
如何に育てていくか・・・鯛焼君。
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