風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第100段
幸せとは
「100の幸せは、多すぎて寂しすぎる。
1つだけの幸せが、大切。」
こう言って、芸能界の頂点時に、引退した歌手。
昔見た映画「マルサの女」の地上げ屋のお金が1番の幸せ。
1989年の「一杯のかけそば」の中の幸せを感じさせる会話。
「幸せ」という言葉には、生きている人のそれぞれの心に刻まれ、それぞれの人は、その言葉を大切にしている。
みんな、感じ方が違う。
同じような事象でも、人によって感じ方が、その人の数だけあり、全て異なる。
ところが、「幸せ」という言葉、その心には必ず、その人の「愛」が存在しているということは、全て同じと思う。
マチダ家の犬達、そして猫達も、それぞれ幸せであると思う。
この動物達の幸せは、マチダ家の人達の彼等に対する「愛」が創る「幸せ模様」である。
植物の幸せとは・・・。
マナカ ダ セーラが2本、枯れてしまった。
9月の長雨で、根元に水が溜まっていた。
花が終わると、急に葉が黄色くなり、だんだん緑の葉が少なくなっていった。
コチアの羽嶋さんにメールで葉が黄色くなってきていることを知らせ、対処を聞いた。
「虫が入っていないか、水はけは大丈夫か。」
虫は大丈夫であった。
水はけはよくない。
草とりで、庭の地表がでこぼこになり、水溜りができる場所ができてしまっている。
草とりが一段落したら、地表を均す予定であったが、急遽、6本のマナカの内、隅に植えた2本の根元に水が溜まらないように土を盛ってみた。
「雹」が降り、花が全て雹のために落とされ、葉も切られてしまった後、急激に葉の色が黄色に変わっていった。
6本の内の2本で、他の4本は何も変化はなかった。
黄色に変色した2本を雨が溜まらない高い方へ移植した。
植替えの時に、肥料を根元に施し、地表の乾き具合を見ながら、水をかけてやっていた。
それでも、緑の葉がだんだん黄色に変色していってしまった。
枝を少し折って木の色を見ていたが、とうとう枯木の色になってしまった。
どうして2本だけが枯れてしまったのか・・・。
マナカを買い、庭に植えた時は、嬉しさで心が躍っていた。
等間隔で、一直線に6本。
植え終えた時は、「ヤッター」とも、思った。
ところが、今、思うと、枯れた2本のマナカの植えられた土は、赤土だけの場所であった。
私は、状況を認識していたが、庭の景観を優先して、植えてしまったのである。
水はけを考慮しないで植えてしまった。
これが、間違いであった。
植えられたら最後で、動物みたいに居場所を変えることができない植物に、生き苦しい場所を強要したら可哀相ではないか・・・。
それを、私は、マナカの気持にならずに、
単純な脳細胞だけの判断で植えてしまった。
「ごめんなさい。」
枯れたマナカを細かく切って、他の元気なマナカの根元に埋めてやった。
細かく切られた枯木は、やがては枯渇し、元気なマナカの体の中に入っていく。
枯れたマナカの心は、大宇宙に戻り、風となり、光となり、疲れた体を休ませるため、雲の上で居眠りを始めることであろう。
そして、眠ることで、自分がマナカであったことを少しづつ、自分の記憶から、消していくことであろう。
植物にも「幸せ」がある。
そのことを、私は考えなかった。
「きれいだ。」と、見ているだけであったことを、反省している。
これから、沢山の庭木を植える計画を持っている。
植えられた庭木が「幸せ」を感じる植え方を調べ、庭木に「幸せ」を感じてもらえるようにしよう。
やはり、植物の「幸せ」にも「愛」が必要であることを忘れないでおこう。
庭作り うるわし花々 咲かせるに
我が希薄なる 知識かさねる
幸せと 愛との言葉の 裏表
欠くことのなく 心に留めんや
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