風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第99段
風邪をこじらせてしまった
ブラジルのお盆が過ぎた次の週は、天候不順で、晴れ間は殆どなく、雨が降り、雨が降っていなくても、どんよりとした鉛色の空であった。
9月になり、ブラジルは、暦の上では、冬が終わり、春になったという。
その春は、清々しい日がないではないが、梅雨に近い日々の連続であった。
ブラジルでは、桜は八月に咲く。
やはり、桜の花が咲く頃が、やはり、日本の春に似ている。
清々しい日が多く、私が「冬日和」と書いたのは、「春日和」であろう。
9、10、11月とジメジメ感のない梅雨の季節と感じる。
その様な天候であったので、私は、外出する時は、必ず長袖で、雨が降り時は、必ず傘を持って、外出していた。
爺さんであり、風邪をひかないように注意をして来た。
先日、リベルダージに行った時に、「ブラジル日本移民史料館」のある、「ブラジル日本文化福祉協会」で「絵画教室」が開かれているという情報を得た。
伯は、絵を描くことが好きで、日本にいた頃でも、ボタニカルを通信講座で受講したり、東浦では、水墨画の会に入り、絵の勉強をしていた。
ブラジルに戻り、絵の勉強を続けたいと思っていたが、油絵のサークルばかりで、水彩、水墨画のサークルがなかなか見つからない。
ここリベルダージの絵画教室も油絵のサークルであるが、一度見学して、友達ができればと思って、2人でリベルダージに出発した。
先週の終わりから、天候が回復し、気温が上がってきていたので、半袖のティーシャツを着て、傘を持たずに外出した。
ところが、サンパウロに着き、バスを降りる頃に、晴れていた空が、風が吹き始め、雨になってしまった。
リベルダージに着いた時でも、雨は止んでいなかった。
リベルダージの駅から、ブラジル日本文化福祉協会までは、1キロほどの距離がある。
伯は、傘を持っていたので、その中に入り、雨の中、真っ直ぐな坂道を下って行った。
さほど強い雨ではなかったが、気温が下がり、冷たく感じた。
協会に着き、絵画教室のある部屋を教えてもらい、教室の内部を見学した。
伯は、絵画教室の先生と話したり、絵を描いている婦人に話かけたりしていた。
私は、油絵具の匂いが教室中に充満していて、その匂に閉口であった。
会話が長引いているので、私は先に玄関で待っていると伯に告げ、退室した。
玄関で伯が来るのを待つ間、催し物の掲示版を見ていた。
いろいろな催し物のポスターが張られていた。
経済学者の竹中平蔵氏の講演のポスターも張られていた。
その中で、12月に「フェスタ ダス ホルテンシアス デ カンポス ド ジャポン」のポスターの掲示を見つけた。
「紫陽花まつり」のことである。
今、草を取っている庭に沢山の紫陽花を植えたいと思っているので、ぜひ、行ってみたいと思い、パンフレットを1枚取り、ポケットにねじ込んだ。
日本では、形原温泉にある紫陽花寺に行ったことがある。
その紫陽花寺と比べ、どの様な景色であるか、楽しみ思う。
外は、雨が降り続いている。
5分ほどして、伯が引き揚げて来て、また、1つの傘で、駅の前にある食堂へ向かった。
時折、ハンケチで濡れた腕を吹きながら歩いた。
体が冷えてきたのか、寒さがだんだん増して感じてきていた。
食堂に着いた。
食いしん坊には、リベルダージでは、1番の楽しみである。
シャリの大きい寿司を口いっぱいに、ねじこんだ。
何時も、満腹になるまで、食べてしまう。
地下鉄に乗り、バスに乗り換えて家路に着いたが、寒く、雨は止まなかった。
とうとう、バスの中では、咳が出始めていた。
喉が痛くなり、空咳である。
長袖のシャツと、傘を持たずに外出したのがいけなかった。
ブラジルに来て、3度目の風邪をひいてしまった。
あれだけ注意をしていたのに、ブラジルの天気は、変わりやすいことを身にしみて感じた。
翌日から微熱が続き、喉が痛く、空咳をすると、胸と腹が痛く、思いっきり咳ができない。
空咳をすると、苦しくなった。
伯が、のどの痛みを取る薬と、タンが出るようになる薬を買ってきてくれた。
両方ともシロップである。
ブラジルの薬局は、風邪であろうと、病院の処方箋がなければ、薬を売ってはくれない。
のどの痛み、タンが出るようになるというシロップだけは処方箋なしでも、売ってもらえる。
微熱が続き、体が重く、何もする気が湧いてこなかった。
しまいこんだ綿入り袢纏を、また着ることになってしまった。
風邪をひいていなくても、寒い日である。
春なのか、梅雨なのか、冬なのか。
今日で、五日目、やっと熱が下がり、空咳がなく、起きてみようという気になることができた。
爺さん、大失敗の巻であった。
清々し 春のうららに 惑わされ
傘と長袖 忘るべからず
リベルダージにある日系文化協会の建物。
0コメント