風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第89段

2つのお祭り


 10月の第1土曜日と、第1日曜日は、私の故郷の高浜市の祭りの日である。

 祭りの名は、「おまんと祭り」である。

 このお祭りは、私にとっては、学校行事を除けば、お正月と同じに、待ち遠しかった行事である。

 

 高浜市にある「大山緑地」と呼ばれている「春日神社」の境内で、2日間にわたって執り行われる。

 「ちゃらぼこ」の囃子太鼓の甲高い音が、鬱蒼とした境内に響き渡り、祭りを盛り上げている。

 直径50メートルほどの円状に丸太で柵を作り、その中で、馬が駆け巡るのである。

 それに、若衆が飛びつき、馬と一緒に駆け巡るのである。

 度胸がいる仕業である。

 怪我をする人もいる。

 腹掛、乗馬ズボン、手甲、脚絆、白足袋、わらじ、そしてハッピ。

 これが、祭りの若衆のいでたちである。

 私は、このいでたちにあこがれ、幼稚園の頃から、中学3年生まで、祭りに参加した。

 お祭りの私の想い出は、私と同年輩の方達と同じような想い出であろうと思う。

 誰にでもある、懐かしい想い出。

 たくさんあるその思い出の中で、2つの想い出を書いてみよう。

 1つは、中学3年生で参加した時の想い出である。

 いただいたのです。

 私の生まれて初めての「飲酒」なんです。

 

 「駆馬神事」が終わると、若衆たちは、「ひけ」といって、提灯を先頭に、馬を連れ、その後ろに、子供達、若い衆達が肩を組み、列を作り、高浜の街の中を、「伊勢音頭」をどなりながら練り歩き、自分たちの集会所(宿舎)に帰るのである。

 無礼講であったが、世の移りで、現在は禁止事項があると聞く。

 お酒の勢いがそうさせているのである。

 その準備の中で、「コップ1杯」のお神酒を、私は飲まされたのである。

 自分から、飲もうとしたわけではない。

 味はもう、忘れてしまっている。

 きっとその時は、美味かったであろう。

 そして、祭りに参加した人たちと、ほろ酔いかげんの中で、「伊勢音頭」を歌いながら、高浜の街を練り歩いた。

 友と肩を組み、道端の大勢の見物の人を意識して、練り歩いたのである。

 これが、爺さんの「酒人生」の始まりだったのかもしれない。

 もう1つの思い出は、おふくろとの想い出ある。

 市役所で車いすを借り、98歳になったおふくろを連れて、私の妹、その妹の子(おふくろの孫)、そして妹の子の子(おふくろの曾孫)と一緒にこのお祭り見物をした。

 人混みの中、車椅子を押し、駆馬の見えるところまで行き、駆馬を見物した。

 囃子太鼓の音、駆馬の鈴の音の中でおふくろは、その音を聞き、馬が駆けるのを、静かに見ているようであった。

 ときたま、目をつぶり、天を仰ぎつつ・・・。

 爽やかな秋風に、触れようとしているようだった。

 そして、おふくろの言葉、「これで、お祭りも見おさめね。」

 「・・・・・見おさめね。」

 この言葉をおふくろは、一緒に桜見物などした時には、必ず言っていた。

 おふくろの口癖であった。

 「また、来年があるよ。」

 いつも、妹や私は、こう答えていた。

 いつもの会話であった。

 おふくろにとっては、これが生涯で最後の祭り見物になってしまった。

 その翌年の祭りの頃も、おふくろはまだ、元気だったが、祭りを見ることはなかった。

 もう、人混みの中はよくはないと判断し、見物をあきらめた。

 今、ブラジルに移住した私にとっても、「おまんと祭り」としては、おふくろと見物した年の祭りが「見おさめ」になるのであるかもしれない。

      「見おさめね」 「いや、また見れるよ 来年も」

                   母に笑顔で 手を握り締め

さて、ブラジルのお祭りは?

 ブラジルには、神社はない。

 教会がたくさんあり、教会ごとに、祭りをしているようである。

 「ノッサ セニョーラ アパレシーダ寺院」は、10月12日にお祭りがあり、20万人もの人が、礼拝に向かうと聞く。

 ここで紹介するお祭りは、村まつりではなく、福祉のために、日系の人達が開催しているお祭りで、「フェスタ デ ベルデ(緑の祭り)」を紹介しておきます。

 「希望の家 福祉協会」という、団体が、身体に障害を持ち経済的にも困っている人を、常日頃、お世話するために病棟を建てている。

丘陵地の頂上に病棟は建てられている。

 そこに入院している人のために開かれた祭りである。

 日系の方達が世話人になり、多くの会社の協賛を得ている。

 入場料や、会場内のたくさんの売店の売り上げが寄付される。

 

 入場料は二250円であった。

 ここでも、65歳以上は無料であった。

 祭り広場には、バザーが開かれ、レタス、キャベツ、ニンジンなどの野菜、そして、スイカ、ミカン、ナシなどの果物が格安で売られていた。

 花木も売られていて、今から庭に植えようと思っている紫陽花も、格安に売られていた。

 紫陽花を買う予定ではなかったので、ぐるりと店を見るだけにした。

 寿司、お好み焼き、焼きそばなども売られていた。

 その中で、昼食はお好み焼きを買い食べた。

 五ミリくらいの大きさのイカとタこが少し入っていた。

 ブラジルの人は、イカやタコはあまり食べないようだ。

 余りに小さくきざまれ、少ししか入っていない。

「イカとタコの隠し味お好み焼き」という感じであった。

 他には、キャベツ、ネギが入っていた。

 マヨネーズ、ソース、きざみの海苔がかけてあり、お好み焼きの生地は、美味しかった。

 500円。

 美容院が出店を構えていた。

 そういえば、伯はブラジルに戻ってから、5ヶ月も美容院に行っていない。

 女性の場合、調髪というのか、整髪というのか知らないが、それをやってもらった。

 2千5百円のところ、750円であった。

 祭りに美容院の出店というのは、ブラジルでは、ありきたりの事なのかもしれない。

 伯の他にも、列を作って順番を待つ人がいた。 

 ミユキも、その1人であった。

 会場の舞台では、日系の人の催しでつきものカラオケが始まっていた。

 たくさんの日系のお年寄りが、ユニフォームを着て、テーブルを囲み食べながら、カラオケを聞いていた。

 ユニフォームは白いティーシャツであった。

胸に、緑色で「FESTA DE VERDE」と書かれ、お腹に大きな円が描かれ、その中には、祭りのマスコットと思われる可愛い男の子が描かれ、笑っていた。

 ユニフォームを着ているのは、お年寄りのご婦人が多く、その可愛いユニフォームが、お年寄りに若くさせ、笑顔になっているように感じた。

 そして、この祭りで、最も感動した時間である。

 国旗掲揚の場面に遭遇した。

 テーブルで食事をしていた人、カラオケの舞台を見ていた人、みんなが起立し、国旗掲揚台の方向に体を向けた。

 はじめは「君が代」が流れ、歌われ、次に、ブラジルの国歌であった。

 かわいいユニフォームを着た、御婦人達も、みんな、胸に手を当て、ブラジルの国歌を歌っていたのが感動的であった。

 まさしく、ブラジルと日本が友好的であるということを確認する厳粛な時間と感じた。

 掲揚台は、真ん中にブラジルの国旗、左側に日本の国旗、右側に希望の家の旗であった。

 お母さんに頼まれた野菜を買い、昼食を食べてから、会場をゆっくりと、何があるか、見ながら回った。

 会場の、片隅に見晴らし台のようなところがあり、伯と2人で、雨上がりの風景を眺めた。

 レタスの畑、ケールの畑が続き、若い緑が丘陵地の斜面を包んでいた。

 ブラジルに来て、初めて見る、眼の前に広がる、若緑色の清々しい田園風景であった。

 

 見晴らし台には、車いすに座っている20歳くらいの男の子、そして、車いすの後には、白衣を着た日系人と思われる女性が一緒に、若葉色の畑を眺めていた。

 清々しい、春の風の中・・・。


      清々し 触れたる風に 天仰ぐ

               若者の夢 社会復帰を

   

   

 ※「高浜市 おまんと祭り」は、YOU TUBEで検索し、見てください。

 迫力があります。

 「高浜市 おまんと祭り チャラボコ」で検索すると、こちらは、祭りの音を体験できます。

美容院が出張し、安く調髪をしてくれていた。

即席の美容院の木箱の前には、鏡が置かれている。

お祭りには、たくさんの人が駆けつけ、思い思いのスタイルで、お祭りを楽しんんでいた。

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