風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第69段
宇宙とは
私は、宗教が何であるか知らない。
小学生の頃、家の近くのお寺に「お経」を憶えに行っていたが、全部憶え切る前に行くことを止めてしまっている。
「お経」の最後までは暗記していない。
宗教を嫌っている部分がある。
それは、宗教戦争があることである。
現代のテロもそれである。
みんなが幸せになるという部分だけで良いのではないかと思う。
たまたま、おやじとおふくろが、先祖から引き継いだ浄土真宗を信仰していたので、私もそれに従い、浄土真宗で、「南無阿弥陀仏」と唱え、合掌している。
自分の心が安らぎ、おふくろ達と「おはよう」が言えるなら、「ノッサ セニョーラ アパレシーダ」でもよい。
戦争のない宗教であれば、どれでもよいのではないか。
どれであるかは、こだわってはいない。
「心よ、安らかなれ。」と思う。
私の思う宇宙観を書いておこう。
宇宙は、138億年前に出来ている。
そして、進化していると言われる。
私は、宇宙は進化をしているのではないと思う。
ただ、宇宙誕生と同時に準備された、諸々の物が変化しているだけの事と思う。
今、宇宙に存在する物質は、全て宇宙誕生の時にすでに用意されていた。
心(魂のことであるが、私は「心」と言った方が優しく感じ、これを使う。)必要な数だけ用意されていたのだ。
「物質」も、「心」も変化しているだけである。
「私の心」も、「誰の心」も宇宙誕生の時に、同時に誕生しているのだ。
新しく誕生した物は、その後、何もない。
植物は枯れて、土に戻り、養分となり、また草に戻る。
動物に食べられることもある。
父とその子供の夕食の様子である。
カレーライスを食べている。
「お父さん、このニンジンおいしいね。
牛肉も軟らかくておいしいね。」
「そうだね、おいしいね。」
「でも、お父さん、ぼくが食べたニンジンさん、牛さんは何処にいってしまったの?」
「・・・・・・・」
食べられたニンジン、牛は、人の1部に変わっている。
「もう、ニンジンさんはいない、牛もいない、人間に変わってしまっている。
そして、人は、動物は生きている。
全ての物は、新しく誕生はしていない。
変化しているだけである。
植物は、枯渇を繰り返し、いつまでも、いつまでも変化し続ける。
大宇宙が存在する限り続く・・・。
私の心は、大宇宙誕生の時に、生まれたのである。
あなたの「心」も同じなのである。
全ての「心」は、大宇宙誕生と同時に用意されていた。
そして、物質の世界と同じように、大宇宙が存在する限り心も存在する。
「心」は、風になり、大空を舞い、光となり、雲間の木漏れ日になり、そして、暖かく生き物を包み、自然を創っている。
それが、「心」の大宇宙での仕事である。
そして、雲の上で、安らかな休息をとっている。
そして「心」は、大宇宙の命令で、地球を守る補助的な仕事をするために、地球に派遣されている。
その派遣された私たちの行いが悪ければ、大宇宙は、「風の心」、「光の心」を呼び、地球の「心」に注意をしているのである。
今の地球はその通りである。
生き物は、毎日、地球を守るための行動をしなくてはならない。
しかし、大宇宙は何もあくせくと、あくせくと地球を守ることだけの仕事だけでなく、
幸せに、平穏に生活するようにと配慮してくれている。
戦争は、いかんですぞ!
はるかなる 宇宙と共に 飛び回り
語りかけるは 永遠の魂
生き物は全て枯渇し、土と空に帰る。
またいつの日か、その生命は、大宇宙から地球に帰る。
元の姿は、そこにはない。
しかし、新しく生まれた生命ではない。
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