風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第68段
風たちと語らう
8月13日、お盆がやってきた。
おふくろが、生前、毎日朝夕に、手を合わせていた仏具を、ブラジルに持ってきた。
位牌もある。
おやじが写経した、「仏説阿弥陀経」の掛軸も持ってきている。
掛軸には、「昭和五十二丁巳年孟夏」とある。
おやじは、筆が達者で、お祭りの幟などを頼まれ、墨で書いていた。
囲碁も、2段の腕前で、大会で優勝をしたこともあった。
酒が好きで、酒に飲まれてしまうのが、悪い癖であった。
享年76歳であった。
おふくろは、97歳頃まで、新聞を読み、俳句を詠んでいた。
テレビは、大相撲、のど自慢を良く見て楽しんでいた。
野球のことなど、何も判らないのに、高校野球を見ては、若人が真剣にやっている姿に、とても感動するといって、食い入るように見ていた。
テレビ体操を、座りながら、一生懸命にやっていた姿が、微笑ましかった。
さほどボケもせずに、享年101歳の大往生であった。
お盆ということで、伯と2人で、サンパウロの東本願寺に、お参りに行ってきた。
バスと地下鉄で、2時間程のところである。
仏教の寺院としては、建物が日本の造りと異なっていて、日本人には仏教の寺院には見えない。
それでも、立派な鐘楼があり、その隣に手入れされた20坪程の、日本庭園が造られていた。
久しぶりに、日本を見たという感じであった。
本堂は、椅子が並べられ、畳がないのを除けば、日本のお寺と同じである。
本堂の正面には、薄明るい夕陽のような光に照らされた、優しい姿の「阿弥陀如来」が、私達を見降ろしていらしやる。
その横には、親鸞聖人の掛軸が掲げられている。
ロウソクを灯し、線香を焚き、お参りした。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。」
お願い事は、しなかった。
本堂は、私と伯の2人だけで、他のお参りの人はいなかった。
その2人しかいないという静けさが、私には安らぎであった。
しばらく、椅子に座り、「阿弥陀如来」を見つめた。
ご住職にお会いできた。
私が、日系3世の伯と結婚し、ブラジルに来たこと。
まだ、3ヶ月余りしか、経っていないこと。
私の父母の納骨を、京都の東本願寺で済ませていること。
そして、私の名前と父母の名前、ブラジルの住所等を用紙に記入した。
お布施を渡し、今後の供養をお願いした。
また、お彼岸には、お参りに上りたいと話をさせていただいた。
寺院から、帰り道は、伯と2人でお参りができ、うれしい気持であった。
風は、爽やかであった。
いつか吹いていた、あの爽やかな風で、足取りは軽く感じていた。
充実した気持であった。
日本の製品が置いてある、食べ物屋に寄った。
仏壇に供えるための日本酒、稲荷ずしなどを買うためである。
おやじと、おふくろの好物だったものである。
地下鉄、バスを乗り継ぎ、家に戻った。
爽やかな風がやってきていた・・。
「お2人さん、ようこそ。」
「風邪は、なおりましたか?風邪には気をつけてね。」
「男の風さん、あんたの書いた掛軸だよ。
もう、37年も経っているんだよ。」
「囲碁はどう、やっているかい。」
「今日は、日本酒を買って来てあるから、一緒に飲もうや。」
「美味しい酒だけど、少しにしておこうや。」
「グビッ! 美味しい、もう少し飲もうか・・。」
「男の風さん、あまり飲むと、風さんは暴風に変わってしまうから、今日は、これまで。」
「今度また一緒に飲もうや。」
「あれれ、女の風さん、あなたの好きな稲荷ずしだよ。」
「ブラジルにも。あるんだよ。」
「さあ、召し上がれ。」
「くず饅頭もあるよ。」
「久しぶりで、美味しいでしょう。」
「そうそう、俺、いま、短歌を詠んでいるんだけど、少しもうまくならねえや。」
「俳句やってる?」
「ブラジルでも、桜が咲くから、一句、詠んでみてはどう?」
「風邪にやられないように、テレビ体操を続けてね。」
「風さん達、もう、兄貴、妹、孫達、曾孫達のところに行ってきた?」
「いああ、まだなのか、私のところが1番始めなの。遠いブラジルまで、ありがとう。」
「日本、アメリカ、ブラジルと忙しくしちゃったけど、旅行と思って、頑張ってね。」
「きっと、早く来てくれって、待っているよ。」
「そっちへ行ったら、俺も元気でやっていると、連絡してよね。」
仏壇のローソウと線香の煙が、ゆらゆらと揺れ、返事をしてくれた。
風さんが、「オブリガーデン。」
私も、「オブリガーデン。」
「風さんたち、いつでも、来てね。」
「そして、また、あの爽やかな風を、感じさせてくれよな。」
風たちは 大空渡り 我がもとに
懐かしきこと 語り続ける
サンパウ東本願寺本殿正面。
本殿横の鐘楼。
本殿内部。
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