風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第64段
これでよいのか
マチダ家近くの診療所に伯と行った。
日本から持ってきた、3ヶ月分の薬がなくなって、2日目のことである。
私の血液検査、心電図、レントゲン写真と日本での診療結果の英文の紹介状を持って・・。
医師は、検査の結果を見て、心配ないことを、伯に告げた。
ブラジルに来る前に、日本の病院で書いてもらった紹介状を持って行った。
紹介状の中に、日本で服用していた薬の名前があり、検査の結果と見比べ、私の薬が決まった。
8種類の薬となり、医師は処方箋を書き、伯に渡した。
6ヶ月経過した時点で、再検査をし、見直すとのことである。
この8種類の薬の内、どれが無料かはまだ判らない。
診療所には投薬窓口がある。
処方箋を提出し、2種類の薬を、この診療所で貰えることが判った。
投薬の窓口係が、他の薬を貰うことができる診療所の場所を教えてくれた。
貰えなかった薬は、この日、近くのスーパーの中の薬局で購入した。
無料で貰えるのは、診療所だけで、薬局では、処方箋を持って行っても、無料にはならない。
もう、薬がなくなっているので、急遽購入することにした。
無料となる薬は、5種類であった。
全ての診療所に、無料の薬が全てあるわけではない。
診療所毎に、貰える薬が決まっている。
私の場合は、マチダ家に近い診療所で2種類、1キロ離れた診療所で1種類、グラルーリョスの2つの診療所で、それぞれ1種類ずつ貰えることが判った。
合計4ヶ所の診療所である。
どこの診療所に行っても、全部の薬がもらえると良いが、そのようなシステムにはなっていない。
システムがどのようであれ、それに従う。
もう、はじめからブラジルのシステムを疑問視したりはしない。
グラルーリョスの2つ診療所は、何処にあるか、伯は知らない。
2つの内の1つの診療所に、以前お母さんが行かれたことがあり、バスの停留所を教えて貰った。
伯と2人で出掛けた。
そこは、いつも行っている、グラルーリョスの繁華街を通り過ぎた静かな街並みの中に停留所はあった。
バスを降り、歩きだしたが、診療所の場所が判らない。
道を尋ね、その診療所がバス停の近くにあることが判った。
診療所に着き、薬を1種類貰った。
もう1つの診療所の場所を聞き、再び出発した。
住宅街で、目標物がなく、判りづらい。
何処を通っていても、同じような風景である。
3度、道を尋ねて、やっと辿り着いた。
前の診療所からは、2キロほど離れていた。
坂道を登ったり、下ったりしながら・・。
5種類の薬が、無料で貰える場所に行くことができるようになった。
薬は、1回におよそ1月分で、また、1ヶ月経ったら、貰いに来なくてはならない。
私が薬を飲まなくなることはないであろう。
私が生きている間続く。
毎月、毎月、4つの診療所に行き、薬を貰う。
私が1人で診療所に行けるようにはなる。
そうなるように、頑張る。
が、その先を考えると、気が重い。
健康でありたい。
日本にいる時よりも、体を動かしている。
日本では穿けなかったジーパンは、今では両手が入る。
血糖値の数値も、130まで下がっている。
血圧も正常。
ボケ防止も始めた。
いつまでも、迷惑をかけたくはない。
余程しっかりせねば。
あの太極拳の元気な80歳の青年になるために・・・。
何か、やらねばならない事を、忘れてはいないだろうか・・。
見知らぬ地 薬貰いに 2人して
急な坂道 汗滲み来る
※ 私が診療してもらえる病院は、まだ決まっていない。
電話での連絡待ちである。
朝のウオーキングは、交通量の多い道路は、廃棄ガスが多く、健康的でない。
交通量の少ない道路は、犯罪に巻き込まれかねない。
まだ、歩き始めてはいない。
0コメント