風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第61段
記念樹
「フェスティバル ド ジャパン」でお会いした、羽嶋さんにメールを送信し、羽嶋さんから返信が届いた。
私が今、庭を作っていること。
ブラジルの植物のことが判らないでいること。
そして、フェスタで見た花で、名前が「マナカ ダ セーラ ( MANAKA DA SERA)」という花の事を、メールでお聞きした返事である。
「マナカ ダ セーラ」の花は、街中で時々見る花である。
日本では、見たことがない。
1本の木に、白色、ピンク色の2つの色の花が咲き、ブラジルで見た花の中では、1番印象に残っている。
その花が、フェスタの羽嶋さんのブースで売られていた。
その時に、その花の名前を知った。
そして、この花は、咲き始めは白い花で、時がたつとだんだんとピンク色に変わっていくことを、教えてもらった。
だから、白色の花とピンク色の花が1本の木に咲いているように見えることが判った。
羽嶋さんの返信は、羽嶋さんもこの花が好きということであった。
この花には色々の種類があること、そして、植樹する間隔などを返信メールで、教えてもらった。
庭の薔薇のうしろに、2メートルの高さで、白い花の咲く木を植えようと考えていたが、この「マナカ ダ セーラ」を植えることにした。
羽嶋さんは、私より、6歳年上である。
サンパウロの西のイビウナ郡というところに住んで見える。
サンパウロを挟んで、私の住んでいる町と反対の方向にあたる。
マチダ家から、車で2時間ほどのところである。
1度、伺いたいと思っている。
羽嶋さんのメールを頼りに、今日、「マナカ ダ セーラ」を六本買った。
明日、薔薇のうしろに一列に、植える。
この「マナカ ダ セーラ」6本は、私がブラジルで生活を始めたという意味の「記念樹」になった。
白い花 マナカの花は 変わりゆく
薄紅色は 故郷の桜
※ 前段で書いた、羽嶋さんが、ブラジルに移住された「コチア青年移住」は、インターネットに詳しく書かれている。
戦後、農家の次男、3男対策で、ブラジルの日系の方の家に四4年間滞在し、農業技術を習得し、その後、農業に就いた方達のことである。
その人数は、2千5百人余りである。
その人達のために、花嫁も日本から移住してきて、その数は、5百人を超す。
日本国籍を持っておられる。
コチアの産業開発の歴史を前段の「フェスティバル ド ジャパン」ではたくさんのパネル写真で紹介されていた。
農業だけでなく、工業技術も移住の大きな目的となっていた。
柔道を始めとし、日本の文化、芸能など、幅広く紹介されていた。
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