風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第59段
思い出の中の思い出
今日、7月27日。
日本にいる同年の友達が、毎年開いている一泊旅行の日である。
山里の民家に似せて建ててある宿を、1軒貸切り、幼友達が、共に語らい楽しむ日である。
今年も、私は行きたい!
遠すぎて、行けない!
昨年の参加者は、25人程であった。
出発するとすぐに、車の中で、酒盛りを始めている者がいた。
私もその仲間であった。
たわいのない会話で、笑い声がはずんだ。
旅の道中で、夜開くバーベキューの材料、お酒、「お米」などを買った。
昼になり、山間の小さな食堂で、美味しく「蕎麦」をいただいた。
2時間程の車での旅である。
愛知県豊根村、「大入の郷」へ・・・。
バーベキューの支度である。
山間のスーパーマーケットで揃えた肉や野菜を、女性軍はうまくバーベキュー用に変身させた。
魚は、努君が「さしみ」など、調理した。
素人肌を通り過ぎ、うまいものである。
ビールは、プルトップを開けるだけ、焼酎は、栓を捻ってコップに注ぐだけの作業であるから、各自の行動にまかされていた。
また、ここでも、バーベキューが始まる前に、もうプルトップはあいていた。
私は、浴槽を掃除し、湯を張った。
宿舎の庭にある清水には、二つの大きな「すいか」が冷やされた。
透き通った川の流れ、涼しげに揺れる木々に囲まれ、バーベキューを楽しんだ。
せせらぎと、木々を揺らす、風の音しかない中。
幼馴染が冗談を交え、語り合う笑い声が、暗い山に吸い込まれ、静かに消えていった。
想い出話は、尽きることなく続いた。
ほの暗い庭での酒宴は、山間の軟らかな風に囲まれ、いやおうなく盛り上がっていった。
古希に近い歳ではあるが、まだまだ、みんな元気であった。
まだまだ、若い!
酒を酌み交わし、ほろ酔いどころか、飲み過ぎた奴もいた。
わ た し で す 。
朝になると、私は二日酔いであった。
昨日の行動のところどころが、思い出せない・・・。
朝食は、「味噌汁」、「焼き魚」、「つけもの」などあり、旅館で出される朝食と変わらないものであった。
冷やしておいた「すいか」を食べた。
昼食の「おにぎり」を作り、帰り道の途中にある「鳳来寺山」に出かけた。
車で、鳳来寺山パークウエイの駐車場まで登り、本堂の展望台まで歩いて行き、「おにぎり」をたべた。
「おにぎり」は、いつか食べたことのある、懐かしい味がした。
夏ではあるが、展望台の東屋の中は、山の涼しい風が流れ、心地よかった。
本堂の展望台に行く途中に、宿坊があった。
これも、「おにぎり」と同様に、懐かしく思った。
ここ鳳来寺山には、今日一緒に来ている、じいちゃんばあちゃんと、小学校5年生の時に、林間学校で来ているのである。
そして、この宿坊で、みんなで泊ったのである。
50年は経っていないが、五厘刈りの丸坊主、オカッパ頭をしていた頃の楽しかった思い出である。
リュックサックには、おやつと「お米」が入っていた。
雨の中、カッパの下に、そのリュックサックを背負い、モリアオガエルの卵を見、小さな足で、1,200段もある石段をみんなで登った。
みんなと一緒だったから、登れたのだ!
本堂の横にある、この宿坊に到着した。
宿坊の廊下から見えたのは、ところどころに樹木が生え、岩肌をあらわにした、断崖絶壁の雄々しい姿であった。
朝になり、持参した「お米」で「おにぎり」をつくってもらい、「馬の背岩」、「乳岩」を巡った。
どこで、昼食をとったかは、もう忘れているが、その「おにぎり」を食べた。
半世紀たった今、また、同じ幼馴染と同じ場所に来たこと。
まだ残っていた、宿坊。
よく管理され、荒れ果てているという言葉は、当てはまらない。
もう、宿坊の役割は終えていたが、そのままの姿が残っているではないか。
断崖絶壁の雄々しい姿も、心に残っていた姿と同じではないか。
そして、場所は違うが、お昼に「おにぎり」を食べたことも同じ。
きっと、同じ味であったに違いない。
吹く風は、私たちに優しく、想い出を語り、通り過ぎて行った。
年老いた友と、楽しかった豊根村への一泊旅行の思い出・・・。
その思い出の中に、小学5年生でみんなと行った、遠い昔の林間学校の思い出が、ゆったりと重なり、2つの懐かしさが甦ってくる。
今日、同級生は、バーベキューで、酒を酌み交わし、語り合っていることだろう。
もう、この旅行に、私は参加することができない。
寂しい。
ところが・・・・
いや、待っていてくれ!
古希の旅行に、絶対、参加するから・・・・!
みんな一緒に行こう!
想い出の またそのむこうの 想い出が
時の流れを 我に教える
※古希の旅行は、来年9月。
参加するため、日本に帰る予定です。
私たちが、小学生であった頃のことであるが、修学旅行など、宿泊する旅行の時には、「お米」を持参して、炊飯してもらっていた。
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