風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第57段

ブラジル社会への第1歩になれ


 前段の「フェスティバル ド ジャパン」は、私にとって、思いもかけないことが生まれた。

 ブラジルに来て3ヶ月。

 私の周囲は、マチダ家とその親族だけで生活をして来た。

 他の人とは、挨拶だけ。

 初めて、それ以外の人と会話をした。

 2人の方と・・・。

 1人目は、80歳を超えている老夫婦に、日本語で、話しかけられたのである。

 催し物の観客席で、偶然、隣同士になったのである。

 老夫婦の息子さんは栃木県で、2千人もの従業員がいる工場で、働いていて、日本で家を買い、日本で永住するということを話してみえた。

 話をしていると、「『リベルダージ』に行きましたか?」と」聞かれ、『リベルダージ』の話を聞くことができた。

 判ったことは、リベルダージの大きな店は、日系人の資本では出来ない。

 もっと、とてつもない大きな資本の組織が動いた、もしくは、動いている。

 日系人の個人の資本では、太刀打ちできないところがある。

 確かに、大きな店は、日本風が消えていた。

 そのことを言っているのだと思った。

 しかし、日本人にはない大きな資本が動いても、どうして『日本人街』の店を手放したのか?

 これが、判らない。

 この『リベルダージ』の街の名前が変わった理由については、まだ解決をしたとは思わない。

頭に入れておきたいと思っています。

 この老夫婦のお名前をはじめ、住んでいる街のことなどは聞かなかった。

 もう会えないと思うが、私のブラジルでの初めての、親族以外で話をした人である。

 日本語が上手で、インテリー的な感じがした老夫婦であった。

 横顔が関東の有名政治家にとても良く似ていらした。

 偶然、街であっても、私はその老夫婦に声をかけることができると思っている。

 名前、住所を聞かなかった事を、反省している。

 もう1人は、「コチア青年連絡協議会」の理事をしている方である。

 この「コチア・・」がどのような組織かは、判っていない。

 ブラジルへ移民して来た人達がつくった会であるようだが。

 フェスタのブースで、樹木の販売をしていた。

 庭作りでブラジルの樹木や花のことを知りたいと思っていたので、立ち止まり、「コチア・・」という団体の樹木の露店を見て回った。

 販売員が声をかけてきた。

 日本語であった。

 私が日本人であるというわけではない。

 日系人に見られたのである・・と思う。

 先の80歳台の老夫婦がそうであったように、私の年代では、日系人同士の初めての会話は、日本語で話かけるのか?と思った。

 庭木の話、花の話、サンパウロで、火曜日と金曜日に花の苗の市場を開いている話。

 花に関して、情報をもらった。

 マチダ家には、広い庭があり、今から庭作りをする。

 花の種類で、何を選べば良いか、話は続いた。

 庭をどのように作っていくのか、判っていない部分がたくさんあり、今後相談をお願いしたいと思い、名刺をもらっておいた。

 日本語のメールでも判る、と言ってもらえたのが嬉しかった。

 今後、私のするブラジルでの生活のための、初めての人間関係が出来るかもしれない。

 今日、私の名前、年齢等を、メールで送った。

 

 このフェスタが、私にとって、ブラジルでの社会生活をしていく、きっかけになる。

 そう思った。

 

         花探す 我に近づき 話す人

             日本語うまく ありがたきかな

  

 

街中で、よく見かける1本に赤とピンクの花が咲く樹。

名前が、「マナカ ダ セーラ」と教えてもらった。

この樹を庭に植えようと思っている。

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