風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第56段
フェスティバル ド ジャパン
日曜日に、ミユキと伯と私の3人で、「フェスティバル ド ジャパン」に行った。
バスでサンパウロまで行き、そこからは地下鉄である。
65歳以上は無料になる地下鉄のチケットは、もう貰っている。
地下鉄を降り、シャトルバスで、会場まで、10分。
家からは、1時間半余りで、会場に着いた。
10時の開場であるが、9時には到着していた。
入場料は、500円であった。
ここでも、65歳以上は無料で、老人専用の入り口が置かれていた。
ありがたいことである。
開場1時間前というのに、私の前に50人程の老人が並んでいた。
それも、男の列だけで、男女別々の列が作られていた。
フェスティバルの目的は、日系人が「日本を紹介するため」に、毎年開催しているようだ。
日本の食べ物を紹介するにも、一役買っている。
ブラジルでは、日本の名前がそのまま通用する食べ物が多い。
「すし」「巻きずし」「いなりずし」「てまきずし」「さしみ」「べんとう」「テンプラ」「おにぎり」「うどん」「おこのみやき」「みそしる」「しょうゆ」など、他にたくさんある。
たくさん書いたが、ほんの一部です。
たくさん書いたのは、たくさんの日本の食物が、ブラジルで食べられていることを、知ってもらいたいと思ったからです。
「テンプラ」は、直径20センチほどの大きさで、せんべい状になった「かきあげ」のことで、日本では、こんな大きな「テンプラ」は見られない。
フェスタでは、それを、紙に包んで、ほおばりながら、歩いているのである。
この様に、日本の料理をアレンジして、ブラジル風にしている食べ物もたくさんある。
味についても、同じようにブラジルに合うように変えてある食べ物も多い。
会場では、日系の人達が、出身県別に露店を開いていた。
日本の全ての県の露店が並び、それぞれの食べ物を紹介していた。
売っている食べ物は、各々の県で有名な食べ物というわけではない。
広島県は「お好み焼き」、香川県は「讃岐うどん」は、特産品として、販売していたが、全ての県が特産品であるとは限らなかった。
ちなみに、私が住んでいた愛知県のメニューは、「テンプラ」、「おにぎり」などであった。
これは、ブラジルの人に、「私の県は、この様な食べ物があります。」ではない。
「日本では、この様な食べ物があります。」と、日本の食べ物を紹介しているようであった。
私が列記した食べ物は、ブラジル現地の人は、昔はあまり、食べなかったそうだ。
いまは、ブラジルで、しっかりと市民権を得ている。
先人の努力の賜物と思った。
お昼の食事時には、各県のブースの前には、 長い行列ができていた。
トヨタ、ホンダ、ヤマハなども商品を並べていた。
私の好きなホンダの「フィット君」も展示されていた。
ここに来るまでは、「どうして、日本の車が、ブラジルでは、少ないのか。」「どうして、日本の電化製品がブラジルでは、あまり並べられていないのか。」を聞こうと思っていたが、産業博でなく、商品の陳列だけで、社員は、誰もいなかった。
家電メーカーの参加は、1社もなかった。私の日本製品への疑問は、解決できなかったのが残念であった。
日本の商品は、これでいいのか、という思いがしたものが、1つだけあった。
食品関係の商品で、日本では昔からどこの家庭でもある商品である。
ブラジルでも製造をしていて、その製造元のブースが開かれていた。
製造元は、ブラジルに移住した日系人である。
このメーカーのブースでは、「すし」「刺身」その他、その商品を使う、日本の料理の講習が開催されていた。
商品が陳列され、どんどん売れていた。
私も、お母さんにお土産で買った。
サービスで、チューブ入りの「ワサビ」が1本おまけで付いてきた。
この日系人の経営する食品メーカーは、ブラジルに合う味を研究し、ブラジルの中で発展させてきた。
何も、日本のままで、売ってはいない。
マチダ家はこの食品を使っているが、日本の味覚とは少し違う。
ブラジルは、その味でいいのである。
一方、日本の企業は・・・・。
商品を並べ、ブラジル産より2倍もの高い値段が付いている。
店員(社員?)を二人置いていた。
しかし、私が見ている時間の中では、お客は1人も寄り付かなかった。
店員は、座っているだけであった。
日本では、有名な企業である。
ここで、私が思ったのは、自動車、家電が高いから売れない・・・・という事。
こういうことかも知れない。
ブラジル法人は、料理の講習をし、人を集め、販売に努力している。
日本法人は・・・。
確かに、日本の方が、私も旨いと思う。
しかし、ブラジルの人の味覚はそうとは限らない。
そこなんです。
この日本の食品メーカーが、「私たちのものは、あなた達の物より、美味しいんです。
だから、高いよ・・。」
美味しいとは何か?
今の味は、高級な場所では、使うことができるかも知れない。
でも、ブラジルの人に合っているのか?
そこを開発して欲しい。
私の食べた、広島県の「お好み焼き」も日本の味、日本の具とは少し違っていた。
みんなブラジル風にアレンジして、広めていき、今の形でブラジルに定着していると思った。
定着したのは、「日本料理」ではなく、「日本風ブラジル料理」なのだ。
文化の面でも、七夕の笹が飾られ、短冊が括られていた。
短冊の書き方、吊るし方は、「七夕祭り」の段で書いた通りで、日本とは違う。
今回は、「盆踊り」も披露されていたが、 日本の踊り方とは違う。
日本より、もっと簡単な、踊り方の繰り返しで、日本では見かけない振り付けであった。
車や家電も日本の企業が、ブラジルの中に定着するための研究をしていると思っている。
そして、速くその日が来ることを願っている。
日本では、この様な、フェスタに出かける日には、お弁当を作る。
会場に、持参して、家族一緒に昼ご飯を食べるが、ブラジルではそれは、全くない。
「全く」という言葉を、強調しておきます。
お弁当を持参している人は1人としていなかった。
入場者は、露店で食べ物や、飲み物を買っていた。
伯が、「露店は儲かる。」といったことが良く判った。
高くても、買って食べるのである。
「家族揃って、手作り弁当を広げ・・」なんてなかった。
歩きながら、食べ物を食べている姿は、頻繁であった。
私は、このようなフェスタなどで、露店を開けることができる権利を、どのようにしたら取得できるか、調べないといけないと思った。
七夕祭りの時のように、露店を開き、伯と楽しく、一緒に頑張れたら・・・。
先人の 思いこもりし アレンジは
みごとこの地に 根をおろしけり
※前段まで、バス、地下鉄、医療費は「タダ」という表現でしたが、今後は、「無料」という表現に変えます。
皆さんの血税を使わせて貰っていて、「タダ」という表現が失礼であると感じ始めました。
先の段での、書き換えはしません。
その時の私の心と知識として、残しておきます。
参加していた日本企業のブース
県人会が開いていた県人会別食べ物ブース
茶道も披露されていた
若者が、上手に三味線で合奏していた
日本とは振付が違うが、「東京音頭」を踊っていた
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