風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第51段
最後の共同作業
日本で私と伯がした、最後の共同作業である。
私のブラジルでの永住の許可がおりたことを、2月初旬にブラジル領事館が連絡してきた。
桜の花が咲き、毎年開催される同年会の花見の酒宴を、コップ酒で友と一緒に、楽しく過ごしてから、ブラジルに移住することに決めた。
最後の桜になるかも知れないと・・・。
ブラジルでの生活のための、引越しの作業を開始した。
3月初旬のことである。
ブラジルへ引っ越しする荷物を、扱ってくれる会社があり、日程などを相談した。
荷姿はダンボール箱である。
大きさは、数種類あったが、1番大きいダンボール箱にした。
幅が1メートル、高さと奥行きが70センチほどの大きさである。
一箱の送料は、箱の数によって、多ければ、割引がきく仕組みである。
結構な値段である。
伯と何を持っていくか相談した。
結果は、ブラジルでの生活で必要と思う物を伯が選んで、今の生活に支障をきたさないものから、荷造りを始めることとなった。
大きなダンボール箱を五個発注した。
品物が壊れないように、プッチンシートで包んでダンボール箱に入れていった。
梱包を始めてから、ブラジルでの生活で必要なものとは何なのか?
伯が持って行った方が良いと思う物と、私の持って行きたいと思う物とのギャップが生じてきた。
その中の1つにティッシュペーパーがあった。
そんなものまで入れるの?
入れたんです。
また、いつも使っていて、思い出がある物も荷造りの候補にあがり、食卓、棚など大きくてダンボール箱にそのままでは入らないものは、ビスなどをとり、解体して入れることにした。
緩衝材は新聞紙、プッチンシートを使い、隙間はないといっていいほど詰めた。
ダンボール箱が足らず、再々度、ダンボールを発注した。
結局、冷蔵庫とエアコンだけは、家財道具の中で、冷却のガスの問題があり、引越しの仲間に入れてもらえなかった。
4年間乗った愛車のフィット君を、何とか持って行きたかった。
が、ブラジルでは、左側通行ということで、残念ながら諦めて売却した。
コンピューター用のプリンターは、ブラジルで専用のインクがないため、私が定年前に勤めていた会社の同僚にお願いして、日本で 使ってもらうことになった。
他は捨てる物は殆どなく、家財道具一式を荷づくりしてしまった。
食事のこと、布団のこと、着替えのことなどの生活に支障のないように、注意し荷造りした。
国内で引越しするのと同じ程度の物量になった。
それが、どでかいダンボールという荷姿になっただけである。
引越しの費用は、愛車のフィット君を売却した値段より、少し高くなってしまった。
日本での想い出の品物は、11個のダンボールにそれぞれ入れられ、4月15日に船便で、ブラジルへ向けて出発した。
3カ月かけての長旅である。
私と伯の日本での、最後の共同作業が終わった・・。
浮かび来る 思い出話も 荷造りし
長い船旅 無事を祈りつ
ブラジル行きの荷を出し、空になった台所。
部屋には、ブラジル行きの手に持つしかない。
伯と2人で1年と少しだけ過ごした、愛知県東浦町のアパートから見た風景。
懐かしさが、こみ上げる。
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