風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第50段

鮮やかな連係プレーに感謝


 ブラジルでの私の義兄弟達と、遠く離れた日本の,私が勤めた会社の社長、そしてその事務員さんに、感謝したいのです。

 ブラジル行きを決め、ブラジルでの生活のために、僅かながらの貯金を、ブラジルへ送金しなくてはならない。

 私にはブラジルでの銀行口座はまだない。

 伯とお母さんの銀行口座に、送金することにした。

 確実に送金できるとは思っていたが、念のために2回に分けての送金にした。

 1回目は、送金するお金は、伯が日本で働いた時の「源泉徴収票」をお金の出所の根拠とした。

 伯が働いて貯金したお金も入っていた。

 2週間程して、ブラジルのテテに電話をし、入金があったことを確認した。

 スムーズに送金が完了した。

 3月初旬のことであった。

 

 入金の実績を確認したので、2回目の送金を、同じ銀行口座に送金の手続きをした。

 今度は、私の名前での送金である。

 日本での手続きには、全く問題はなかった。これで完了、良しと思った。

 が、テテに電話をいれたところ、まだ入金されていない。

 何度も電話したが・・・。

 1ヶ月が過ぎ、ブラジルに出発する日にも入金されていなかった。

 ブラジルに着き、銀行へ伯とテテと3人で行った。

 年金の口座開設には、何ら問題はなかった。

 送金については、そのお金の根拠を証明しなければ、入金出来ないとのこと。

 日本で用意をした「源泉徴収票」を提出した。

 1週間して、伯が銀行に電話をしたが、「源泉徴収票」をポルトガル語に翻訳しなくては内容が判らない、とのことであった。

 1回目の送金で、伯の「源泉徴収票」を提出したが、翻訳なんてなかったのに・・・。

 ジンタがプロの翻訳人と面識があり、その人の事務所に、「源泉徴収票」を届けてもらい、そして、後日、翻訳した書類を貰いに走ってくれた。

 銀行に提出した。

 1週間して、また、伯が電話をしたが、入金がされていなかった。

 

 銀行の事務方の女性も、こんなことは初めてだ、とのことであった。

 どうして入金がされないのか、銀行サイドもしっかりと把握していないようであった。

 テテくんにも同席してもらい、何度も交渉をしたが、進展しなかった。

 銀行の事務方もはっきりした理由は言わない。

 というか、何故、入金されないか、判らない様子である。

 ブラジルに来て、周りの人に迷惑をかけないための必要なお金である。

 充分であるかどうかは、生活の仕方、考え方で変わると思うが・・。

 

 弁護士のキヨカズに相談をかけることにした。

 キヨカズの仕事は忙しく、土曜日にしか打ち合わせの時間をとることが出来ない。

 土曜日の朝、例の韓国製の赤いワンボックスカーに乗り、マチダ家に帰って来た。

 キヨカズを囲み、テテ、ジンタ、伯と私で話を始めた。

 お父さんが隣に座ってみえたが、話を聞いているだけで、口出しはされなかった。

少し微笑んでおられた。

 きっと、お父さんは「私が育てた子供だ、そんなことは簡単に解決してしまう。

 口出ししなくても大丈夫。」とでも言ってみえる感じであった。

 キヨカズの考えでは、銀行も外国からの送金に関して、責任があるから、銀行に責任を取らせないで、「私と伯が責任をとる形にするしかない。」との意見であった。

 いま、ブラジルでは、外国から悪いお金の送金が、増加していることも教えてくれた。

 私は、悪の組織の一員にみられているのか?

 キヨカズは、私に、私が勤務していた会社の「在籍証明書」と、月々の「給料明細書」を作って貰うように言った。

 そして、あとは、キヨカズが嘆願書を作成するということになった。

 お父さんは、言葉をだされずに、にこにこして、席を立ち、事務所に向かって歩きはじめていた。

 早速、私は日本の社長と、事務員さんにメールを送り、その旨のお願いをした。

 

 1日もかかることなく、メールで書類が届いた。

 「ありがとう。」

 迅速な協力であった。

 感謝に涙が流れ、それを止めることが出来なかった。

 涙を流しながら、社長と事務員さんに、お礼のメールを送信した。

 「本当に、ありがとう」

 これで、書類の確認が出来た。

 1週間して、書留郵便でオリジナルの書類が日本から届いた。

 ポルトガル語に、翻訳をお願いした。

 翻訳は、オリジナルでないと訳して貰えない。

 また、ジンタに走ってもらった。

 そして3日後に、翻訳された書類が手元に届いた。

 

 キヨカズに連絡したら、キヨカズの職場である市役所まで書類を持ってきてよい、とのこと。

 伯と2人で市役所へ行った。

 キヨカズは、個室に机を構えていた。

 時々、伯に質問しながら、30分ほどで嘆願書を作成してしまった。

 10項目からなる嘆願書である。

 キヨカズの昼休みに、3人で銀行へお願いに上がった。

 嘆願書は渡された・・・・。

 昼の食事を3人で食べた。

 1度来たことのあるレストランで、店員が日本語で「スズキサン、ゲンキデスカ。」と言って、おぼえていてくれたのが、嬉しかった。

 「元気です。ありがとう。」と返辞をした。

 5日が過ぎた。

朝、私は作業着で、長靴を履いて、庭の草とりをしていた。

 伯が走ってきて、私に告げた。

 眼には、薄っすらと涙が・・・。

 銀行からの電話があったのである。

 「入金された・・・。」

 伯の言葉である。

私も嬉しさに、涙が出てきた。

 土まみれの手袋をはめていて、涙をぬぐうこともできずに、涙が落ちていった。

 日本で送金の手続きをしてから、3カ月が経っていた。

 

 何も出来ない、私のために義兄弟達が協力してくれた。

 さすが、弁護士。

 そして、遠い日本の社長、事務員さん。

 お互いにこんな遠くに生きていても、素晴らしい連携プレーをして戴いた。

 

 入金されたことは嬉しい。

 それ以上に、人の優しさ、温かさが、もっと、嬉しい。

 後日、日本料理のレストランで、ミユキ、ネネも入り、家族でお礼の食事会を開いた。

 キヨカズは、友達との旅行で、欠席であったが、お礼はさせてもらった。

 

 日本の社長、事務員さん、ごめんなさい、

メールだけで、何も出来ずに。

 日本に帰ったら、事務所に伺います。

 その時まで、お礼は待って く だ さ い。


 肩落とし 達磨になった 我のため

                助け舟だす 人たち多し


      遠くある 人の心が 風になり

                素早く我に 力届くや 

      

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