風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第47段
桑の実
今日は1日中雨である。
昨日の夕方から降りだし、今は午後3時であるが、これだけ長い時間雨が降るのは、こちらに来て初めての事である。
草とりなど屋外の仕事が出来ず、お母さんと伯と3人でコーヒーを飲みながら、雑談した。
今朝、6時半に診療所に歩いて行ったことが話題になった。
今まで朝は人が少なく、犯罪に巻き込まれるかも知れないと、日本で4年続けてきたウオーキングをやめていたが、歩いている人も多く、安全ということがわかり、お母さんと3人で朝、散歩することになった。
日本でのウオーキングが、懐かしく思われた。
わが故郷の高浜では、冬はまだ暗いうち、伯と2人で歩きはじめて、朝が明けてくるのを見るのが心地よかった。
子供の時によく遊んだ、稗田川の両岸を歩いた。
桜、もみじ、こなら等の樹木に混じって、桑の木があちこちに植えられていた。
私の同級生の守正君の家がその川岸の近くにあり、その家の前の川岸にも、桑の木が植えられていた。
昔の稗田川には、この様な樹木は植えられてはいなかった。
また、桑の木がどのような木なのか、私は全く知らなかった。
2人で歩いていて突然、伯が木の実をもいで口の中に入れた。
そんなものが食べられるのか?
私は同じようにもいで食べてみた。
甘酸っぱいラズベリーに似た味であった。
「ポリフェノールが、たくさん含まれている。」と、伯は私に教えてくれた。
この赤紫の1センチほどの大きさの実が、桑の実である。
桑の実を食べるのは、初めてであった。
その日から、ウオーキングの間に、桑の木が植わっているところまで歩くと、私は1つもいで食べながら歩いた。
1つ食べては1歩1歩、もう1つ食べては1歩1歩。
歩き終わると、舌は赤紫に染まっていた。
ガキの頃、ソメイヨシノの桜の実を、サクランボといって食べ、舌の色が同じ赤紫の色になった事を懐かしく思い出した。
守正君は、家の前にある桑の実を、食べただろうか?
また日本の最後に生活した東浦では、明徳寺川の両岸を同じように朝早くウオーキングした。
この道は「於大の道」と名付けられていて綺麗に整備された道である。
「於大」とは「徳川家康」のお母さんの名前で於大は東浦の出身である。
於大の道は、桜並木が続きその先は、とても綺麗に管理された、広い公園に続いている。
この公園は「於大公園」といって、桜はもとより梅、竹林、ボタンなどの庭園が素晴らしく管理されていて、歩いていて気持ちが良かった。
たくさんの人が、ウオーキングをしていた。
毎朝ランニングで、颯爽と走っていた女性は、素晴らしく健康そのものであった。
その姿は今も記憶の中に残っている。
於大の道のウオーキングの出発点の近くに中学校があり、その土手に、大きな桑の木が植わっている。
歩きながら、ここでも桑の実をもいで食べた。
ある日、年格好が私と同じくらいと思われる年恰好のおばあさんが(このおばあさんも歩いている)私が桑の実をもいで食べたのを、見てしまったのである。
「そんな木の実が食べれるの?」と私が伯に聞いたのと同じように、私に聞いてきた。
「ポリフェノールがたくさん入っていて、美味しいですよ。」と答えたら、おばあさんも1つもいで口の中に入れた。
笑顔であった。
今、日本では丁度桑の実が熟れる季節になっている。
今年もあのおばあさん、桑の実を食べているかなあ・・・。
そして、ブラジルに来てわかったことだが、今、私が草とりをしているマチダ家の庭にも、大きな桑の木が1本植わっているのである。
伯は子供の頃から、この木の実を食べていたのである。
今、ブラジルは冬、私はこの木の実が赤紫に熟れる日を、楽しみにしている。
見え隠れ 桑の実つつく 小鳥たち
我も真似して 舌を染めたり
タチダ家の庭にある桑の木。
40年余りの月日を知っている。
その桑の樹には、シュロの木の皮で根を包まれたカトレアの花が巻かれている。
水分量が木の水分だけで宜しく、他に水をやらなくても、立派に花が咲いている。
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