風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第7段

弟たち

 上の弟は、名前が「ジュリオ キヨカズ マチダ」で、43歳である。

 グラルーリョスで、アパート(日本でいうマンション)を買って住んでいる。

女房が始めて日本で働き始めた時に、一緒に日本で働き始めたが、数ヶ月でブラジルに帰り、その後勉強し、弁護士の資格を取り、いまその仕事で公務員をしている。

ブラジルの公務員の仕事は、日本の公務員がする仕事と違う部分があるようだ。

  

 土曜日にはよくマチダ家に帰って来て、家族と会話をしながら食事をする。

 5月の一週目の土曜日には、グレー色のフォード製の車に乗って来ていたのだが、次の週の土曜日には真っ赤な車に乗って来た。

 韓国製のワンボックックの車であった。

 何で韓国製なの?

 「日本車に乗ってほしいなあ。」と心で思った。

 一緒に住んでいないので、まだ性格など判らないが、よく喋る。

弁護士ということで、何か困りごとがあったらお世話になろうと思う。

 今後とも、よ、ろ、し、く 。

 もう1人の弟の名前は「マウリシオ テツヤ マチダ」で30歳になる。

 まだ独身である。

 短い期間ではあるが、日本で働いたことがある。

15歳の頃からコンピューターの勉強を独学で始めた。

大学を卒業し、いまでは自分でコンピューターを作ってしまうほどである。

 私が今使っているメールも、私がまだ日本にいる時に、電話でやり取りして、私のコンピューターに、彼のコンピューターがどのように接続(?)されたかは判らないが、ブラジルで日本にある私のコンピューターに、私の新しいメールアドレスを収得させてしまった。

 いま私は、そのメールアドレスを使っているのである。

 こちらに来て、空港での出迎えや、さまざまな申請、買物などに付き合ってくれ、私と女房の運転手をしてくれている。

 子供の頃から「テテ」という愛称で呼ばれている。

 「テテ」は名前の「テツヤ」からきている。ブラジルでは赤ちゃんのことを「ネネ」と呼び、二つの同じ言葉を並べて、幼い子を呼ぶことが多いようだ。

 女房のおばさんの「トシエさん」は、兄弟では1番末っ子で、同じように「ネネ」と小さいときから呼ばれていた。

歳を取り70歳を超した今も、まだ「ネネ」と呼ばれていて、「おばあさんネネ」である。

 テテ君は、小さい時から体が弱く、体操が苦手で、学校の体育の授業はいつもなにかれと理由をつけ休んでいたと聞く。

 いまは、それを克服しようと、トレーニングジムに通い、腕などは相当の筋肉が盛り上がっている。

 ガールフレンドがいるようで、土曜日の夜はいつも出かけて、朝帰りであるようだ。

 テテ君、頑張れ!

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