風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第6段

お父さん、お母さん

 お父さんは、名前を「エデルソン マチダ」と言う。

ブラジル生まれの日系2世で、カトリックを信仰しておられる。

 玄関と台所には、祭壇があり、日本の神道でいう、御燈明が灯されている。

毎朝、毎夕お祈りをされる。

 また、他の部屋には、高さが15センチほどの十字架が飾られている。

私より12歳年上で、同じ戌年である。

 鎌倉に住む私の兄より、1歳年上である。

 若い頃は、田畑に蒔く肥料の販売をしておられた。

仕事で農家を回っているうちに、どこかに売りに出ている土地がないかとよく聞かれ、不動産の免許を取得され、不動産業の経営をはじめられた。

 大きなスーパーマーケットを30店舗も経営する社長や、高速道路の両側に数千坪の広さの場所を所持し、その場所でガソリンスタンド兼レストランを経営する社長など、多くの人々と親交を深めてみえる。

共に日系人である。

また、公的にも活躍されたようだ。

 若いころに大きな不動産の取引をし、大儲けをした。

ところが、儲けを周囲に奢ってしまって、1週間で使い果たし、何も残さなかった。

 それが残っていたら大金持ちになっていたと、お母さんは話しておられた。

 話が少し、オーバーかも知れないが・・・。

 お父さんの父、つまり女房の祖父は鹿児島県の出身で、なんやら鹿児島で、賭場を開いていたとのことで、今でいうとヤクザの親分だったのかな?

 家には博打で、客がお金を払えずに、借金のカタに置いていった品物が、たくさんあったとのこと。

「5年で帰る。」と鹿児島を離れブラジルに来られたが、日本には帰られてはいない。

 鹿児島にいた頃も周囲の人から結構慕われてみえたとのこと。

 映画では、町の人に慕われている親分と、悪代官と悪い相談をする、悪の根源である親分が出てくるが、きっと、お祖父さんは、良い方の親分であられたに違いないと思いたい。

お父さんが、周囲の人に奢ったのは、その血をついでおられるのであろう。

いわゆる、親分肌なのだろう。

 いまでも奢っておられるようだ。

 若い頃、日本でもたまに見かけるような大きな自動車を、お母さんに内緒で買った。

お母さんに見つかるといけないので、自宅に置かず、他の場所を借りて保管し運転しておられたとの事。

今は朝の食事を終えられると、自宅の隣にある昔の事務所に行かれる。

昼の食事以外は事務所の椅子に1人ぼっちで座ってみえる。

 事務所としての看板は取り外されているので、客は1人も来ない。

不動産の仕事は、今は自宅から2キロほど離れた処に事務所を借り、2人の従業員が取りまわしている。

毎日、夕方4時頃になると、自宅から1キロほど離れたバー(日本の居酒屋)に、自動車を運転し、出かけられる。

ご高齢でもあり、痛風で杖を使い歩行をしてみえる。

運転は危ないと家族や店の人に言われても、365日欠かさずに出かけられる。

若い頃からの車好きが、80歳になろうとしている今もまだ続いているのか?

 そして、周りの昔なじみに、酒(ブラジルの酒、ピンガ)を奢ってみえる。

 毎日夕方に、バーに出向かれるのは、昔からの友人や知人に会いに行き、楽しく団欒をしたいと、思っておられるのだろう。

 お母さん、女房、弟は、特に自動車での事故を心配している。

丁度、運よく、バーの隣の土地が売りに出たのでそれを購入した。

 それはバーが自宅の隣にあれば、毎夕お父さんが自動車を運転せずに、隣にある昔なじみのバーに行くことができる。

いまこのバーの隣の土地に、新しい家を立てるための計画をしている。

 家が完成し、もう車に乗らなくても良くなるまで、事故を起こさずにしっかりと運転してください。

 「たのみますぞ、エデルソン君!」

 こんなに、奢ることばかりしているお父さんであるが、残すところはしっかりと残してみえる。

 自宅は1,000坪ほどの敷地で、その隣に3,000坪ほどの土地があり、鋼材の置場として賃貸してみえる。

 これはエデルソン夫婦の老後の生活とか、子供への遺産として残してあると、私は思った。

 素晴らしいお父さんである。

 お母さんのこと。

名前を「ジュリア エツコ ヒエダ マチダ」と言う。

日系1世であるお父さんは、熊本県が出身地である。

お母さんは、ブラジル生まれの日系2世である。

 私より3歳年上である。

 朝5時半には必ず起きて、それこそ炊事、洗濯、掃除、買物、それに5匹の犬の食事作りと忙しく動いてみえる。

 炊飯のかまど、洗濯板などは使っていないが、昔の日本の母の姿がよみがえってくる。

 朝、私と女房は6時に起き、朝御飯を食べる。

テーブルの向こう側に座られ、お母さんは病院のこと、買物のこと、周りの人との接し方、街の様子などを、ゆったりとやさしい言葉で教えてくださる。

 女房との話は、私がいるということもあると思うが、日本語で話していたと思うと、ポルトガル語に変わり、また日本語に戻り、日本語なのかポルトガル語なのか、聞いていて可笑しくなる話し方をされる。

 私との話だけと思っていたら、お父さんや他の家族との会話もその通りである。

 話はじめるとなかなか止まらない、話の好きなお母さんである。

 私が寒くてセーターとベストを着ている時にでも、半袖のティーシャツ1枚で寒くないと言われる。

 私の実母と同じで、優しく、そして働き者のお母さんである。

※ 義父さん、義母さんと書くのが本当ですが、お父さん、お母さんと書かせて貰います。

  後段の兄弟も、同じです。

お父さんの話は、朝の食事の時に、お母さんが話されたことを、まとめました。

 

  犬たちが6匹でなく、5匹になっていることは、後段で書くことにします。

 

  

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