風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第3段

到着

 24日夕方、クンビッカ空港に到着。

 26時間のフライトであったが、なぜか疲れは感じていなかった。

 緊張感だけが、私の体を包んでいた。

 日本人のいない、漢字もない、飾り気もない殺風景の空港の混雑の中・・・。

 明るくもない照明が、私の不安を増幅させるに充分だった。

手荷物が回転寿司の様に、次から次へと、ベルトに乗って出て来た。

 女房と私の荷物は、20分ほどで姿を現した。

 荷物を2台のカートに乗せ、入国手続きのための列に並んだ。

 女房は到着して緊張しているのか、きりっとし、列の前の方をじっと見ていた。

 周囲が騒いでいた。

 その時、列の前の方の誰かが、ポルトガル語で何か言ったとたんに、列の前方でピーピーと指笛を鳴らし始めた。

 ポルトガル語を知らない私には、何だかわからなかった。

 異国の地に着いて、初めてのわからない出来事であった。

 女房が「入国の手続きが遅い。」と抗議をし、指笛を鳴らしていると教えてくれた。

 すると途端に、入国手続きが始まったようで、列が動き出した。

 手荷物検査があるはずだが、パスポートだけのチェックで入国手続きは終わった。

 そんな簡単でいいのか、また、そんな事でよしとする国なのか。

 何といってよいのか、よい方にとれば、のんびりした国のように思った。

 人の列に混じって、ゆっくりと出口へむかった。

出口が見え、出口の向こうの人混みの中に、女房は、出迎えの兄弟を見つけ、指差した。

弟と妹、そして妹の旦那と3歳になる女の子の姿である。

「あそこよ!」と、私に彼等を見つけたことを教えた。

彼等も女房と私を見つけ、手を振っていた。

 女房は近寄って、懐かしそうに、ブラジル風にハグをしたが、私は笑顔で握手をするのが精一杯であった。

 でも、最後に握手をした3歳の子の手のぬくもりと笑顔が、私の緊張感を取り払ってくれたのであった。

 

彼等が乗ってきた2台の車に荷物を分けて乗せ、私と女房は弟の運転する車に乗り、妹夫婦と女の子は、もう1台の車に分乗し、女房の実家に向かった。

私は助手席で、女房は後部の座席であった。

 90キロの制限速度の表示があり、高速道路と思った。

3車線で、場所によっては2車線になったり4車線になったりする道路である。

オレンジ色の街燈が連なり、夜空が街燈のどんよりとしたオレンジ色に染めてられていた。

 道路は非常に混雑していた。

 左側通行、車は左ハンドル。

 初めての経験で、今までの感覚と違い、戸惑いを感じた。

 横目でスピードメーターをチラッと見たら、90キロを超していた。

車間をぬって、車線を変え、うまく運転していった。

彼らにとっては、日常の運転であろう。

が、私にすればレーシングコースを猛スピードで走っているようで、また違った緊張が体を包んだ。

まだここでも、眠らせてもらえなかった。

 20分程して、私の第2の故郷の舞台になる、女房の家族の住む家に到着した。

 緊張感は疲れに変わっていた。

 空港の 人混みの中 捜す妻

    兄弟見つけ 歓喜の声あげ 

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