風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第4段

義理の父と母に会う

 今からの生活が始まる家に到着した。

 この家で暮らすのだ。

 1つだけの電灯が、ぽつんと灯る薄暗い庭に車を止めた。

 大きな庭木が、夜空の中に真っ黒に、ゆらりと揺れているのが見えた。

 けたたましく犬が吠えていた。

 恐ろしい鳴き声だった。

 女房から、6匹の犬と、3匹の猫がいると聞いていた。

 女房は、私が動物を、余り好きでないことを知っている。

私を車に待たせ、車から降り、お母さんのところに行った。

お母さんから、パンを貰い戻って来た。

そのパンを私に握らせ、犬たちにやるように私に言った。

 私は車から降り、屈み、パンを差し出した。犬たちは大きな鳴き声で、吠えながら寄ってきて、パンに喰らいつき、むさぼり喰った。

 怖いと思ったが、これで犬たちは私を味方と感じたらしい。

吠えるのをやめ、静かになった。

 そんなに単純なものなの?

 そうなんです。

 私は戌年で、彼らの気持が良く判るのです。

 荷物を下ろし、言葉はなかったが、お父さん、そしてお母さんと、心をこめ、握手をした。

 手の温かさが、私には心の温かさに思えた。

 お土産のダウンジャケットを皆に渡し、テーブルに着く。

 コップにビールが注がれ、乾杯をした。

私は緊張し、うまく言葉が出なかった。

 「か か か、乾杯。」

 ブラジルの乾杯は「ビバ」と言ってするようだが「乾杯」と日本語で言って貰えたことが嬉しかった。

 1口飲んだ。

ビールの冷たさは、私の心の緊張を解きほぐすに充分だった。

 お父さんが、私に日本語で、私の出身地や仕事のことなど聞かれたので、しっかりと返事をした。

 「お父さんは、日本語をうまく話せる。

 ありがたい。」、そう思った。

 世間話程度の会話で、重要なことは聞かれなかった。

 幾度も同じことを聞かれる場面があったが、同じ返辞を繰り返したことは憶えている。

 「いい人だ。」とお父さんが女房に日本語で言った。

 私はその言葉を聞いて、心から「ホッ」とし、嬉しさが込み上げてきた。

 歓迎のパーティーは、私とお父さんが少し話しただけで、10分程度で終わり、ささやかで平凡なものだった。

 お母さんとは、全く話ができなかった。

 シャワーも浴びずに、寝床に入った。

 会う前から、うまくいかないという不安はなかった。

 それは、日本で生活をしていた時に、女房は月に幾度か、ブラジルの家族に電話を掛けていた。

 いつも「元気でいるよ。みんな変わりはないか?」という内容の電話であった。

女房は、私のことを1度も話をしてはいなかった。

 ましてや、一緒に生活をしていることは全く話してはいなかった。

 だが、話が始まったのである。

女房が掛けた電話の中で、「早くブラジルに戻ってほしい。」と母親らしい言葉があった。

 その時の電話で女房が、結婚したい人がいると、私の今までの仕事のこと、年齢、バツ一であることなど話し始めた。

両親に初めて、私という人間を理解してもらおうと、話し始めたのである。

 何のためらいもなく、「そうだったの、良かったね。」との言葉であった。

 女房が掛けたこの電話で、結婚の許可が下りるとは、私の方がびっくりしたし、あっけなかった。

 私は、そんなに単純に許可がおりるとは思っていなかった。

 どのような成りゆきにせよ、許可が下りたのであった。

 そのような経緯で、結婚の許可が出た後に掛けた電話の中で、お母さんとはすでに「元気で見えますか」とか、優しい言葉を頂いていたので、「日本へ帰れ」とは言われないと思っていた。

 女房のこの電話で、私は結婚してブラジルへ行き、ブラジルで共に幸せを創ることを決心した。

 去年の10月のことだ。

 そして12月に入籍した。

 義父義母の 差し出されたし 手に触れて

  伝わりきたる 心の温もり   

2階が、生活の部屋になる。

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