風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第481段
ふるさと祭り(その2)
土曜日、午後11時、テテとしんちゃんが帰宅。
その時間まで伯は起きていたが、爺さんは、爆爆・・・・爆睡‥鼻ちょうちん!
翌朝、伯に聞いた。
”よく売れた”とのこと。
土曜日は、一日中、小雨。
小学校2年生になるミユキの子のネネ(ネネは、赤ちゃんの愛称)が雨を心配してくれて、てるてる坊主を作り、庭木に吊るしてくれた。
微笑み返しをし、可愛いではないか・・・・・
朝、5時起き。
てるてる坊主の甲斐あって、雨はない。
日曜日 6時半マチダ家を出発。
プレジデンチ ドゥートラ・・・・マリオ コバス・・・・アイルトン セナ・・・・ペドロ エロレス・・・・・の4つの高速道路を乗り継いでモジ ダス クルーゼスの街に入る。
途中のペドロ エロレス高速道路は、山越えである。
朝早くの出発。
ものすごい霧の中、高速道路を、安全運転。
60キロの安全速度。
ゆっくりと・・・・ゆっくりと・・・・
慌てない‥‥慌てない・・・・
別に、仕事に行くと思わんでもいいじゃん!
霧の中、ドライブを楽しめばいいじゃん!
遥々と、遠いブラジルまで来てしまったんだから!
楽しめば・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ゆっくりと・・・・ゆっくりと・・・・
そんなにゆっくりと走っていても、到着するんです。
会場は、静かに広がる農村の中にあり、道を挟んで日本企業、N.G.Kの工場がある。
工場は、広い敷地できれいに管理されている。
会場の裏には、畑が広がり、ひっそりとした霧の中、明け来るのを待っている。
”ふるさと祭り”は、当初 ”桃祭り”として開催されていた。
この農村には、たくさんの桃の木があり、桃で生計を立てておられた日系の方が多く住まわれている。
ところが、桃の樹が病気にかかり、桃の樹がどんどん枯れてしまった。
そのあとに”ふるさと祭り”と名前も内容も変えて存続している。
日系人の方達だから、ふるさとの意味を日本と思いやすいが、そうではなく、この田園地帯は、農業が生活の多くを占めていて、他の仕事がないため、学校を卒業すると、労働力を必要とする街に働きに出た。
日本と同じである。
その働きに出た若者が盆休み(ブラジルのお盆は、11月2日)に帰省するときに合わせ、お祭りをしている。
盆踊りの屋形も作られている。
日本の文化が、ここにも引き継がれている。
あと、2時間半後、開場となる。
ネネのてるてる坊主・・・・・・雨はない。
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