風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第355段
ニッケイホテル(リベルダージ)
今年初めてのバザールへの出店。
リベルダージにあるニッケイホテルで1月28日、29日に開かれた。
土曜日に、伯の弟のテテと彼の恋人に売子を頼み、スタートした。
前段で書いた鯛焼の不祥事があり、お詫びしなくてはならない部分がある。
このバザールは、今までにない集客力のあるバザールで、バザールというより、フェスタと言ってよい。
和太鼓の合奏、歌謡ショウ、マジックショウと客寄せのためのアトラクションがあり、また、ニッケイ新聞(日経新聞ではない日系新聞)にバザール開催の案内記事を載せたりしていた。
12月に初めて開かれたこのバザールは、12月には2,500人の来場者があったと聞く。
昨年暮れに出店したヴィラカホーンの沖縄会館のバザールの来場者の500倍の来場者であった。
今回は、そんなには多くなかったようだが、久々のたくさんの来場者のバザールであった。
どんどん売れていった。
鯛焼はないが、漬物、佃煮、餅類と有難いペースで売れていった。
生姜の佃煮、キュウリのピリカラ漬け、生姜糖、白餅と完売していった。
売れ残った商品でも。ほとんどが90%程の売れ良き・・・・・・・やったぜ〇〇ちゃん!。
このバザールの企画は、これで2回目なのだが、3回目が3月に開催される予定である。
”曰く因縁”については、このバザールにあのブローカーが出店していたが、声もかけず、知らんふりであった。
お互いに・・・・。
堂々としておればいい・・・。
我が陣営に落ち度はない!!!
来るなら来てみい・・・。
ゆっくり、ゆっくりと我が陣営の思うことを進めていきたい。
ニッケイホテルということで、ホテルのロビーには、日本人形が可愛く飾られていた。
多くの来場者がゆったりとする中、和太鼓の、演奏が続く。
付録の戯れ言葉・・・・・
この日のリベルダージは、中国祭が開催されていた。
この私のブログの26段で書かせてもらいましたが、リベルダージは、サン パウロの日本人街として発展し、「日本人街」として、存在していた。
ところが、この日本人街に中国人、韓国人が住み、商売をするようになり、2004年に日本人街」から「東洋人街」と名前が移っていったのです。
とても、残念です。
そしてこの中国祭。
リベルダージ以外の地に中国街(中華街)、韓国街を作ればよいのにと思う。
何か、日本人が築いた後に入り込み、甘い汁を吸おうとしているように思えてならない。
確かに、土地の所有者となり、権利関係は、法的に問題はない。
しかし、私は思う。
”自分の力で、1からやってみろ!!!”
権利関係の違いはあるが、今の”尖閣諸島”、”竹島”問題を作る国民性がここにもある。
そう思う。
もう一度,書こう。
”自分の力で、1からやってみろ!!!”
こう思うのは、私だけか。
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