風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第265段
4月の風(2016年)
67歳、我が故郷の桜の園で、幼馴染と桜の宴を、共に語らい、共に飲み、これを日本の最後の宴とし、ブラジルに移住した。
そして砂時計は、3年の砂をさらさらと流し続けた。
もう、70歳。
ブラジルに来た目的は、それなりに維持されている。
伯に助けられ、伯を助け、毎日を過ごしている。
健康第一を忘れずに・・・。
しかし、今思うと、それは掛け声だけで、実態の伴わない部分があったことを反省している。
胆のう切除は仕方ないが、飲みすぎのために胃潰瘍になったのは、全くもって健康第一を置き去りにした行為であった。
毎日の晩酌でなく、ブラジルに来た頃のように土曜日と日曜日の飲酒日にしておけばよかったのだ。
1日に、おちょこ2杯のピンガであったが、アルコール度が強すぎた。
胆のう切除での痛みは、もうない。
4月に入り、ラジオ体操と太極拳を再開したが、庭には足が向かない。
医師が言った「草取りの姿勢、良くない。」
これが、私を庭に向かわせないという理由づけにしている。
確かに、今、この姿勢で、長時間草取りをしないほうが良いであろう。
そう思うが、そうではなく、草を取ろうとする心が沸いて来ない。
単純に、長生きしたいと思うだけのことだが・・・。
また、気が向いたら、ゆっくりとゆっくりと、やろう・・・。
露店の方は、不景気で客足が少ない中でも楽しくやっている。
日系の方達は、ほとんどの方が、日本語を話されることがわかり、日本語で接客できることが嬉しい。
冗談を言いながら・・・。
そして、あれやこれや試作をし、販売し始めている。
鯛焼主体では、限界があるので、鯛焼以外で、日持ちに耐えられるものを考えている。
漬物は、「キュウリのQすけのピリカラ漬」だけでなく、今は、ニンニク、らっきょ、大根のピリカラ漬や甘酢漬、そして、伯が「福神漬」をも作り、販売し始めている。
まだまだ、他に試作をしていく予定でいる。
日持ちのするもので、生姜糖、豆菓子なども、試作を始めている。
露店を始めた頃に出店し、少量多品目で販売していたおばあちゃんを見習っているのである。
鯛焼を無視するわけではない。
鯛焼も「0からの出発」として、考えている。
そのうちに、ものになるようにしようと思っていることがある。
とにかく、バザールが始まる数日前から準備するものでなく、暇なときに作っておき、バザール当日に売れ残っても、次回に売ることができるもので、売れそうなもの(ブラジルの人に好んでもらえると思われるもの)を探しながら・・・。
何が売れるかは、わからないから、作って売ってみる。
売れたものは、売り物として残していく作戦である。
伯は、美容師養成学校の各課程を修了し、開業するための準備にとりかかった。
その中で、食品とどのように両立させるかを考えてきたが、いざとなると、その難しさが考えの中で渦巻き、うまくまとまらなかったようだ。
日本のように、美容院で見習いからはじめ、長年かけて腕を磨いていくようなわけにはいかない。
そんな訳で、美容師開業を断念した。
そして、食品1本でやっていくことにした。
伯の人生は、伯が決めればよい。
いくら家族であろうと、その人の生き方をあれやこれや言うことはしない。
その人が決めたことを実行すればよい。
その中で協力すればよい。
食品の方は、2人で楽しくやっている。
これで決まりであろう。
4月のバザールは、10日、17日、24日の3日であった。
今後の方向付けをしながら漬物主体で、大勢を挽回できるようになりつつある。
伯と2人で楽しく・・・。
5月は、1日にパトリアルカ(3度目)、21日、22日の2日間はリベルダージの文協(3度目)の予定である。
リベルダージの地下鉄駅前のバザール出店の件。
まだ、返事がない。
方向を変えなくてはならないとも思い始めている。
ブラジルでの3年が過ぎた。
3年のまとめは、これくらいであろう。
その成果は、余りにも小さい・・・。
ご老体にあてがわれた砂時計の残された砂がどのくらいあるのか・・・。
うかうかしては、いられない。
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