風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第264段

3月の風(2016年)

 3月10日(木曜日)、すごい豪豪豪・・・・・雨雨雨・・・・!

サンパウロに降る3月の1ヶ月分の雨量を1日で降らしてしまったようだ。

サンパウロ、グラルーリョスでは、道路が冠水したところがたくさんあったようだ。

丘陵地に囲まれたこの辺りは、排水が一時的に間に合わないところが多くあるようだ。

 この洪水で、命をなくした人が15人ほど出たと報道された。

 丘陵地の麓、川の横に位置するマチダ家も床上30センチの被害にあった。

 庭の大きな里芋の葉が隠れてしまい、50センチは冠水したであろう。

 こんなに冠水したことは、今までなかったと聞いた。

 裏の川のマチダ家から200メートルくらい離れた下流で道路拡張の工事をしていて、川の流れが制限されたのかもしれない。

 冷夏、そして、豪雨・・・・。

 冷蔵庫が冷やす力をなくし、後日、センサーなど交換してもらい、冷やす力を回復させた。

 いつまで持つやら・・・。

 そんなことで、12日(土曜日)、13日(日曜日)のバザールの準備の時間を、家の中で冠水したいろいろな物の後始末と掃除で使ってしまい、鯛焼を作ることができなかった。

 そして、バザール当日を迎えた。

会場に行くと、不況のため、やはり、参加店は減り、6店舗が家族で日本に働きに出たり、知り合いの化粧品店、饅頭屋が出店を取りやめていた。

 さあ、今年初めてのバザールの開始であるが、鯛焼なしの漬物、そして、少しのおはぎ、赤飯だけで販売をした。

 結果、おはぎ、赤飯は完売だったが、その数量は、10個ずつで多くはなかった。

 残らないように、数を控えめにしておいたから完売できたのだった。

 漬物は、伯が「福神漬」を作り、それを「ピリカラ漬」と並べて売ってみた。

「ピリカラ漬」に比べ、よく売れた。

 やはり、名の通った「福神漬」が勝利。

 「福神漬」は、すでにメジャーの貫禄であった。

 頑張らねば・・・・「ピリカラ漬」!

 「ラッキョの甘酢漬」を作ってみたが、これもよく売れた。

けれども売上は、鯛焼がないこともあって、昨年の半分以下であった。

 利益は、3分の1程度になった。

 不況で、入場者が激減したことが1番の原因と思う。

 世界の景気が、早く良くなるようにと・・・・願う。

 今度のバザールは、4月2日、3日。

 スザーノ市(マチダ家から東へ車で40分くらいのところ)で、初めて参加するバザールである。

 このバザールでは、漬物だけを販売する権利を得た。

 今、懸命に漬物を作っている。

 横腹の痛さの中で・・・。

 痛みの場所は、臍を原点にすると、向かって(-10,5)cm界隈で、痛みは、少し。

 大きく息を吸い、腹を膨らますと、痛みがなくなる。

 やはり、私の腹は、思いっきり膨らんでいたほうが、安定しているのであろう。

 五臓六腑(1つはなくなったが・・・)は肥満体仕様にできているようだ・・・。

 息を吐き、腹をへこます時に、キリリと来る程度の痛さ。

 さほどでもない。

 歳なみに、治癒力が落ちているのであろう。

 ひどくならなければ、これでもよいと思っている。

 

 そんなことで、庭の草取りは、もう、3ヶ月近くサボタージュしている。

 爺さん得意のサボタージュ。

 また、学生時代を思い出してしまった。

 自分の体のことを考えると、次に、故郷の友、あの顔、この顔、皆、元気でいるのだろうか・・・。

 そう浮かんでくる。

 元気でいて欲しい。

 

 桜の時が来た、懐かしい故郷、どうしているだろうか・・・・?

 グラルーリョスの冷夏は終わり、スーパーでは「柿」が並び、もう秋の装いに代わっている。

 季節は変われど、リベルダージへの出店の知らせは・・・・・・まだ、ない。

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