風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第263段
2月の風(2016年)
何もできない・・・何もできないまま、砂時計は、さらさらと流れ、時を刻んでいます。
またやってしまった。
どうして・・・? 何で・・・?
東浦の太極拳で、80歳になるご老体が、健康そのもの演武していた姿。
どうして、あのようになれないのか・・・?
1月10日に遡って書いていきます。
その日は日曜日。
灰色の雲が空を覆っていた。
いつものように、朝、草取りをはじめた。
30分ほど過ぎた頃、みぞおち付近に痛みを感じ、草取りをやめた。
1年ぶりの痛みであった。
そして、次に襲ってきたのが悪寒、発熱。
1年前と全く同じ症状であった。
胃潰瘍は、治っているのに・・・。
いつもは、症状としては、これだけで収まっていたのだが、今回は、発熱と再度のみぞおちあたりの痛みが続き、痛みは夜中にまで続いた。
翌11日、病院に駆け込んだ。
たくさんの人が、名前を呼ばれるのを待っていた。
3時間ほど待った。
あれやこれや検査の結果、即、手術、入院となってしまった。
胆石、それに、胆のうが化膿していたのだった。
胆のう切除。
「胆石は、腎臓にまで入り込んでいた。それに胆のうの化膿が結構、進んでいた。」との医者の言葉。
どの位、放っておいたら、そうなったかは、聞かなかった。
伯がこんなことを言った。
「1年前は、胃が痛いと申告し、胃の検査をしたら、胃潰瘍が見つかり、その胃潰瘍を治したのだが、この痛み、悪寒、発熱は、胆のうがやられていたからでた症状で、胃、胆のう、心臓も全て、みぞおち付近に痛みが出るから、どの痛みなのかわかりづらい。
胆のうが、こんなに悪くなっていたのは、日本で胆石を摘出したときに、手術前は胆石が3個あるとのことだったが、手術中1個が見つからずに、2個だけ摘出した。
そのときの1個が、肝臓に入ってしまっていたのかもしれない。それが・・・。」
しっかりした根拠はないが。
無事、切除の手術は、終わった。
みぞおちを折り目として、への字を左右裏返しにした形の切り口。
30センチほどで、27針が縫い合わされていた。
横腹には、小さな穴が開けられ、血液と胆汁を体外に出せるように管が埋め込まれていた。
2月2日、血液検査、レントゲンなどの検査の結果、そして3日に横腹の穴から、血液採取の管を抜いて、やっと、退院。
3週間余りの入院であった。
医師団や看護師は、ポルトガル語ができない私に、慣れない日本語で対応してくれた。
「オハヨウ、イタイ?」・・・とか。
また、伯は、夜中も付きっ切りでいてくれた。
着替えなどが不足したときに、家に帰るくらいで、医師の回診での指導や、看護師の指示に応え、本当に頭が下がる思いであった。
点滴は、3週間で150本ほど打ったであろう。
有難いことに、手術、入院、薬、食事など、全て無料であった。
点滴が続く、そんな状況だからベッドで横になっている時間が多かった。
食いしん坊の爺さんでも食事が進まなかった。
ただ1つだけ、面白かったことを書き留めておきます。
入院ベッドの頭側の壁には、患者の名前、生年月日、患者のお母さんの名前が、A4版の紙に書かれていた。
それが、お母さんの名前の欄に、私のおやじの名前が書かれていた。
それと、これが面白かった。
私の名前を「MITUHARU SUZUKI」と書くところを、「MITUMARU SUZUKI」と書いてあり「ミツマル君」になっていた。
ちんちくりんの私には、こちらの名前の方がふさわしいとも感じた。
訂正を申し出ることもなく、「ミツマル、ミツマル」と呼ばれるたびにその呼び方を楽しんだ。
改名したら、おやじに叱られるだろうか・・・。
「ミツマル」は、気に入っている。
2月3日、退院し、自宅で体重計にのった。
「67.3キロ」で、10キロもやせていて、体重計をびっくりさせてしまった。
毎日、シャワーの後で、消毒、ガーゼの取り換え。
2月17日、胆汁の管を取り除くため、病院は出かけた。
後は、自宅で、2月末まで、消毒をするということになった。
今でも、痛みは、ある。
でも、「痛み、悪寒、発熱」は、これで終わりであってほしいと思う。
2月恒例のサンバのフェスティバルが行われた。
2月もなかなか太陽が顔を出さずに、どんよりとした中でのフェスティバルであったようだ。
夕立もどきの日が多い・・・冷夏。
このフェスティバルの後、かなりたくさんの商店の店じまい、会社の倒産があったことを聞いた。
早く、景気が戻って欲しいと思う。
3月からは、またバザールが始まる。
鯛焼の「0からの再出発」は、何も対策がない。
食材は値を上げ、私たちの商品も値上げを考えないと、利益が出なくなってきているものが出てきた。
バザールのはじめは、例年通りヴィラカホンのバザール(3月12日、13日)であるが、出店がどの程度あるのか?
きっと、出店を見合わせる店が出てくるであろうと想像している。
でも、DAIKITTYとしては、ぜひとも参加してみようと思っている。
古希になり、古希までに庭を完成させる計画であったが、それがまだ出来ていない。
入院し、自宅療養で、1ヶ月半以上、草取りをしていない。
医者の助言は、「草取りの姿勢もよろしくない。」とのこと。
痛みがなくなったら、また、ゆっくりやろうと思っている。
ベッドの頭に貼られた、ネームプレート。
MITUMARU SUZUKI. お母さんの名前がおやじの名前。
病室から見える夜景。
飛行機が飛行場に入っていく。
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