風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第255段
7月の風(2015年)
ブラジルに厄介な奴が居座ろうとしている
いや、もう、どっしりと居座っている。
「不景気野郎! ブラジルから出て行ってしまえ!」
「爺さん!そんなこと言っても、もう、世界のあちらでもこちらでも、俺の仲間が居座っていて、どこにも行くところがないんだよ。ブラジルは、インフレ率が高く、他の場所より居心地がいいんだよ。悪く思わんでくれ、爺さん・・・。」
バザールやフェスタへの出店が4週間続いた。
3週目のフェスタは、3回目の出店のサントアンドレの七夕祭りで、土曜日、日曜日の2日続きの出店であった。
3回目ということで、顔見知りが増え、お互いに挨拶をするようになった。
最高齢と思われる白髪のおばあちゃんも元気で参加していらした。
ところが、私の主観ではあるが、客足が、昨年に比べ、半分くらいの人出で、賑やかさにもう1つかけていると思われる光景であった。
恒例の爺さんの「エスペリメンタ」が、今1つ、店の前を歩く客の耳に軽やかな言葉として聞いてもらえなかったようだった。
伯と顔なじみになった化粧品を売っているおばちゃんは、1つも売れないと、こぼしていた。
私たちの隣のテントで、テンプラを販売していたジンタのお姉さんの店は、昨年、店の前に行列ができていたが、今年は、その行列を見ることはなかった。
鯛焼、ピリカラ漬、そして、伯とミユキとお母さんで作った弁当は、何とか、完売することができた。
それは、夕方、閉店間際から、値引きし、販売したからだった。
販売している食べ物が、日持ちせず、持って帰っても、廃棄されるだけの運命だから・・・。
サントアンドレの七夕祭りが終わり、4週連続出店の最後の4週目のジアデマ(サントアンドレ市の西南の都市)の沖縄会館での対策を、伯と2人で話し合った。
不景気で、買いたいが、我慢する客。
財布の紐は、硬い。
このことを頭に置きながら、どのように、買ってもらうか・・・。
まずは、鯛焼きを考えた。
値を下げる。
いや、値を下げないで、数量を減らす。
150個だけ、鯛焼を焼こう。
ピリカラ漬も、キュウリ、ニンニクを20個ずつ。
弁当は・・・。
伯が考えた。
巻き寿司、ちらし寿司入り稲荷寿司、赤飯の3種類が入った弁当を10ヘアウ(400円)で売る。
これは、露天では、ヤキソバが18ヘアウ、高いところで、25ヘアウ、手巻き寿司1個7ヘアウ、たこ焼き6個9ヘアウなど、結構な値段で売られている。
これらは、日本の価格より高い設定の物もある。
これを、崩そうと、10ヘアウの寿司弁当を売ろうということになった。
個数は、50個とした。・
ジアデマのフェスタ当日。
伯と2人で、高速道路を乗り継ぎ(サンパウロには、たくさんの高速道路が作られている)1時間かけて、会場についた。
設営を始める。
商品を並べ始める。
並べ終わらないその途中で、寿司弁当が売れていく。
寿司弁当が開店後、2時間で完売した。
不景気を見越し、伯が10ヘアウの「極安寿司弁当」を作ったことが、客の目に留まったのであった。
財布の紐は、解かれた・・・。
鯛焼も値引きなしで、夕方5時過ぎに完売した。
ピリカラ漬は、2つを残し、6時過ぎに店じまい。
9時までのフェスタであったが、もう、これだけで充分であった。
早々と、伯と2人、愛車フィットで、高速道路を快走し、帰宅することができた。
4週間、日曜日の連続出店で、ブラジルでは物価が高騰していることを、実感した。
8月2日にマチダ家から3キロほど離れているだけの老人ホームである「やすらぎの郷」でフェスタが開催される。
10ヘアウの「極安寿司弁当」を100個、鯛焼き300個、ピリカラ漬40個、他におはぎ20ケース、あとはカボチャで作ったアボボラという甘いデザート。
完売を目指す。
出店が4週間続き、庭の草取りは、1ヶ月ほど何もしなかった。
忙しかったこと、疲労が重なり、庭に下りてみるが、草取りをする気持ちが沸かなかった。
マチダ家から3キロほど離れているだけのところに「やすらぎの郷」という老人ホームがある。
8月に出店を予定しているのは、このフェスタだけだから、また頑張って草取りをしようと思っている。
ゆっくり、ゆっくりで良い。
4週間、草取りをしなかったが、何度も何度も「草取り追試」をしたところは、ほんの少しの雑草が生えただけで、グランドカバー一色の様になってきた。
草取り追試の回数と雑草の数の反比例。
雑草の数がやっと漸近線となり、優しい庭になってきた。
但し、そのようになった場所は、まだ、庭の一部分だけである。
おさらばした晩酌。
もう、5ヶ月近くアルコール、コーヒーなしの日々である。
バザールのための準備、出店で疲れが溜まったが、体調は、良好であった。
ブラジルは、あと1年足らずで、オリンピックが始まる。
オリンピック景気が来て欲しいのだが・・・。
ついでに、もう1つ、希望を書いておこう。
夏の高校野球。
わが母校、刈谷高校は、愛知県大会で、準々決勝まで駒を進めた。
ご存知、愛工大名電に惜敗(私にとっては、惜敗です)してしまった。
やはり、私学4強を倒さなくては、甲子園はない。
すっきりと、倒して欲しい。
その日が来年なのか・・・再来年なのか・・・。
「勝てよ!刈高、我らが刈高!」
いつまでも、ブラジルで応援しているよ。
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