風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第254段

6月の風(2015年)

 サンパウロそして、我が町グラリューリョスは、標高800メートルの処に位置する。

 6月に入り、朝霧で明ける日がある。

 濃い朝霧である。

 伯は、その朝霧の中、美容師の道具をリュックサックに詰め、出掛けて行く。

 美容師養成学校での教程は、第3課程を修了し、最終課程に入った。

 あと数ヶ月で卒業することが出来る。

 その後で、ネールと女性のカットの細かい勉強をしたいと言っている。

 年の暮れ近くまでかかるようである。

 とことんやればよい。

 こんな様子で、伯が忙しい。

 バザールで販売する材料の買い出しをリベルダージに爺さんが1人で出掛ける機会が多くなってきている。

 バザールは、6月の最後の日曜日をはじめとし、4週連続し、出店予定である。

 3週目は、土曜日、日曜日の2日間の出店である。

 これは、すでに、3回目のサントアンドレの七夕祭である。

 今は実に忙しく、また、楽しい。

 6月中旬に、リベルダージに買い出しに行き、その帰りのアルメニアからのバスでの出来事を書いておこう。

 時刻は、朝9時頃。

 4人ほどの乗客を乗せ、アルメニアを出発した。

 途中、2人が降りたが、乗ってくる客は、いなかった。

 私は、バスの後の方の席に座っていた。

 高速道路に入り、停留所での、このバスに乗ろうとする人の合図(手をあげ、“乗るよ”の合図)が無く、ただ、2人の乗客が、途中で降りただけで、バスはどんどん走り続けた。

 高速道路を出ると、私の住んでいる丘陵地の天辺まで登り、右に曲がり、丘陵地の麓まで下ると、私の降りる停留所がある。

 高速道路を出たバスは、丘陵地を登り始め、丘陵地の天辺の右に曲がる交差点の少し前に差し掛かった時に、車掌が「$#%&$‘&%$」。

 ポルトガル語で何か言った。

 判るはずがない。

 乗客は私ともう1人だけであった。

 そして、丘陵地の天辺の右に曲がる交差点にさしかった時、右に曲がらずに左に曲がってしまった。

 爺さん、「おいおい、私の降りる停留所は、反対の方向ですぞ!」と、心の中で叫ぶ。

 爺さん、慌てて、停車願い用のボタンを押した。

 すると、車掌がまた、ポルトガル語で「%&$‘=&%$#!」。

 爺さん、「ポルトガル語はわからない。」と日本語で話す。

 運転手、「&%$#=%$」とどなりながら、停車し、降車用の扉を開けた。

 爺さん、あわててバスから降りた。

 丘陵地の天辺から丘陵地の麓にあるマチダ家まで500メートルくらい。

 真っ直ぐに下っている坂道を、トボトボと・・・。

 

 そして、後日、再び、買い出しの帰りに、アルメニアでバスに乗り込んだら、同じ車掌のバスであった。

 乗った時刻は、先回とよく似ていた。

 後の方の席に座らずに、車掌と1番近い席に座った。

 車掌が、私を見て、笑顔で「%&$#=¥」

 そして、右の手で、親指を立てた。

 私を覚えていたようであった。

 私も笑顔で、同じように親指を立てた。

 今日は、左に曲がらずに、右に曲がってくれるようであった。

 よく、憶えていてくれたもんだ。

 そんじょそこらにいるようなちんちくりんでなく、なかなかいない特殊のちんちくりんなので、憶えていたのかなあ・・・。

 車掌も、そんじょそこらにいるような肥満でなく、車掌の椅子からお尻がはみ出しているくらいであるから、

爺さんは、忘れようがなかったのであった。

 この日は、徒歩で坂を下ることなく、家の近くの停留所で降りることができたのであった。

 本当は、禁止されているようであるが、客が極端に少ない時に、決まったルート以外のルートで近道をするバスがあるようです。

 運転手と車掌が、勝手に決めているようである。

 ここは、ブラジル。

 さて、6月のバザールへの出店は、2つのバザールへの出店であった

2つとも、鯛焼は完売出来、ピリカラ漬も販売個数を伸ばし、1日で40個余りの売れ行きで順調に販売できた。

他には、餅とおはぎを売ってみた。

個数は、それぞれ10ケース作ってみた。

これも、完売することが出来た。

昨年、サンミゲルのバザールで少量多品目の販売方法をしていたおばさんに見習い、少しづつでも、その販売方法に近づけていこうと、あれやこれや販売品目を探していこうと思っている。

 その内容は、他の店がやっていない食べ物を探すことである。

 景気の良いように書いているが、ブラジルは、今、食品をはじめとし、あれやこれや値上げが多い。

 にんじん、キュウリ、だいこん、トマトなどは、私がブラジルに来た頃は、日本より安いと感じていたが、いまは、同じかそれより高いと思われる。

 日本でも、食品など値上がりしているとのことであるが、それよりはるかに値上げ率は高い。

 インフレ率は、世界で1番ではないが、今年は年率8%くらいになると言われているようだ。

 景気の悪さが、バザールへの客足を妨げてもいるようである。

 バザールに出店している人の中で、1日を通して1個も売れない人が出て来ている。

 伯と私の店は、まだ売れている方である。

 しかし、今後、生産個数を考えなくてはならない時期に来ているかも知れない。

 特に、鯛焼は日持ちしないから、余らないようにするために、早めに少なくした方がよいとも思っている。

 

 バザールへの出店のため、草取りは、今迄のような作業時間が取れていないが、続行している。

 庭のマナカ ダ セーラが咲きはじめ、今年も可憐な姿を増やしつつある。

プランターのキュウリであるが、やはり、成長しなかった。

 2センチ程度の実は、大きくならずに、そのまま、幹も葉も全て枯れていった。

 グラリューリョスでは、ダイコンは、4月から7月頃の寒い時期にしかスーパーの店頭には出てこない。

 そんな寒い時期に、キュウリを育てようとは、いささか時期が違っていたようだった。

 しかし、インターネット(ブラジル版)でキュウリの栽培時期を探してみたら、4月から6に種蒔きとあった。

 でも、やはり、キュウリは夏野菜であるから、暑くなっていく時期に成長すると思う。

 これに懲りずに、グラリューリョスが暖かくなっていく頃に(7月の終わりくらいから)1週間おきに、少しずつ種まきをしてみようと思っている。

 土の悪さを解消するために、雑草を焼いた土に牛フンを混ぜようと思っている。

 牛フンは、5キロで280円(1ヘアウ40円)くらいである。

 東浦では、牛フンは、牛牧場が牛フン置場を作り、無料で誰にでも持って行って良かった。

 JAで借りた爬竹では、ふんだんに牛フンを使って野菜を育てた。

 懐かしいなあ・・・。

 禁酒は守っている。

 もう、4ヶ月が過ぎた。

 医者の処方箋の薬を2ヶ月間(もう、1ヶ月は過ぎた)服用している。

 コーヒーも絶っている。

 6月に入ってからは、胃痛、悪寒、発熱は皆無であった。

 「お酒が飲めなくなったら、人生終わりだ。」と、昔、聞いたことがある。

 そうならないように、気をつけようと思う。

 体調を良くしたら、きっとまた、飲める日が来ると信じている。

 ブラジルで、そして、日本で、あの人と、この人と、一緒に、飲もうでは、ないか、気持のよい酒を・・・。

 いつの日か・・・きっと。

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