風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第247段
年の瀬(その5)
総括
鯛焼、ピリカラ漬の出店は、失敗あり、成功ありの1年であった。
フェスタとバザール。
日系人の客と日系でない客。
男性と女性。
年配と若者。
こういった区別をしないで、販売を始めたが、それぞれの客に購買への魅力を変えなくてはうまく売ることが出来ない。
幾つかの要素のなかで、替えていかなくてはいけないことがある。
私は、「エスペリメンタ(試食をどうぞ)」としか言えないが、声のかけ方も変化が必要と思った。
また、日系の年配客は、日本語を話され、その人達への応対の仕方など、まだまだ、課題が残る。
今年の目標として、固定した売り場所を決めたいと思っていたが、出来なかった。
具体的には、出店するバザールの決定であった。
それはまた、来年の課題となった。
リベルダージ進出をもくろみ、リベルダージで、偶然見つけたバザールで「これでいける。」と早合点して失敗した。
しかし、リベルダージを諦めたわけではない。
再度、挑戦する決意である。
さて、車の運転の話である。
もう、兄弟達の運転でなく、私の運転で、伯と2人で出掛けることが出来るようになった。
リベルダージのバザールには、朝早く、私の運転で出店に出掛けた。
マチダ家からリベルダージまで35キロ。
カーナビを伯に聞いてもらい、通訳してもらう。
間違うことなく、到着することが出来るようになった。
「ブーブー」と廻りの車に言われることなく・・・。
グラルーリョスの街に買い物に出かけたりしている。
先日は、お母さんとおばさん2人と伯を乗せ、マチダ家から160キロ離れている「ノッサ セニョーラ アパレシーダ」までお参りに行ってきた。
伯にカーナビの言葉を通訳して貰いながらの運転である。
カーナビの言葉の種類は少ない。
ひょっとしたら、爺さん、いつの間にか自分でもカーナビの言葉が判るようになってしまうかもしれない。
なんて、思っているのである。
1年間、目的を忘れずに過ごすことが出来たと思っている。
日本滞在中に再会できた友達。
その中の3組の御夫婦の半世紀に近い「夫婦の絆」。
それは、相手の生き方を肯定し、相手を気遣う。
これが「絆」の1番の心と思った。
伯とは、半世紀の歴史を作ることはできない。
でも、彼等の生き方を見習いながら、生きようと思う。
あの小さな島で、新治と初江も、もう半世紀以上も、仲良く暮らしている。
年に瀬に 思い巡らす 1年は
夫婦の絆 さらに深めん
0コメント