風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第241段
40日間、日本滞在(その49)
成田
4時半を回っていた。
「成田エクスプレス」に乗り込む。
外国人が多かった。
成田が国際空港で、成田から国に帰るのであろう。
荷物はリュックサックだけで、膝の前に置いた。
出発前から、大きな声で話している団体がいた。
発車しても、煩さかった。
「〇国人」の団体で、マナーを守らないのか、知らないのか・・・。
うるさくて、イライラした。
10分ほどで、静かになった。
伯と並んで座っているが、さほど、話もなかった。
しばらくして、伯は、眠り込んだ。
千葉市を過ぎると車窓からは、日本の里山の光景が広がっていた。
曼珠紗華はもう、色を落としていた。
8月に日本に着き、始めてみたこの里山は、黄金色の稲と葉の緑の点描画であったのが、稲は刈られ、田んぼは「イガグリ頭」に変わっていた。
もう、秋だ。
流れ過ぎて行く景色を、ぼんやりと見ていた。
もっと、日本に居たいと思う気持ち。
やるせない。
私がそんな気持でいることも知らずに、エキスプレスは、空港へと・・・。
空港で、クロネコヤマトを探す。
4つの荷持ちを受け取り、荷物を入れ替えた。
カウンターに行き、搭乗手続き。
9時半のフライトであったが、すでに沢山の乗客が並んでいた。
まだ、6時を少し廻っていただけであったが。
登場手続きを終え、空港内をぶらり、ぶらり。
何かを買おうという気持ではなかった。
ただ、ぶらり、ぶらりと。
何を食べようか。
伯に任せた。
ラーメンということになった。
けだるい。
食べていても、けだるい。
もう、終わりなのだ。
もっと、居たいのに・・・。
そんな思いだけが、心を駆け巡っていた。
7時半。
パスポートに「出国」の印を押される。
いつまた「帰国」の印を押してもらうことができるのか・・・。
寂しさが込み上げてきた。
伯が言った。
「電話してみたら。私もお礼を言うから。」
呼び出し音。
何度も、何度も、同じ音。
応答はなかった。
最後の携帯を切った。
応答があるより、これで良かった・・・のだ。
そう、思った。
この旅行。
私の心の湖の、沢山の「想い出カルタ」をまた浮かばせることができた。
月並みの言葉で充分だ。
皆、伯と私を懐かしく思い、親切に優しくしていただいた。
忘れることのない、想い出。
そして、今、ブラジルに向かう自分。
うしろ髪を引かれる。
何時かまた、きっと日本に来よう。
元気でいてくれ!
知多の海、三河の海、京都、お好み焼、太極拳、昭和食堂、古希の旅行、さんまバーベキュー、神島、クラス会、写真部OB会、郡上八幡、東京。
そして、懐かしい人との再会。
込み上げてくる。
「俺って、世界一、幸せなんだ!」
「どこかで微笑む人もありゃ何処かで泣いてる人もある。
あの屋根に下、あの窓の部屋。
いろんな人が生きている。
どんなに時代がかわろうと、どんなに世界が変わろうと、人の心は変わらない。
悲しみに喜びに、今日も皆生きている。
だけど、だけど、これだけは言える。
人生とは、いいものだ。」
若い時によく歌った。
その通り、いいものにしようではないか・・・。
遠く離れていても、忘れないよ。
そして、この旅行。
「ありがとう。」
夜の空 また消えて行く 故郷に
さようならと 言えぬ心で
0コメント