風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第239段

40日間、日本滞在(その47)

 東京(その1)

 9月29日。

 東浦を離れ、東京に行く予定を立てていた。

 「スカイツリー」に登るという予定。

 ところが爺さん、東京という処を何も知らない。

 東京都〇〇区というところには、中学校の修学旅行で行ったことがあるだけで、爺さん、まるで田舎者である。

 山手線が外回りと内回りで走っていることは知っていて、それに乗れば、大体のところに行けると思っている程度である。

 スカイツリーに行く前に、犬山の鯛焼機のメーカーで聞いた「かっぱ橋」に行くことにした。

 「かっぱ橋」には、鯛焼の幟を売っている店があるときいていたので・・・。

 東浦での最後の朝、冷蔵庫には、飲みかけの牛乳しかなかった。

 コップに注がずに、そのまま飲んだ。

 伯は、何もなかった。

 リュックサックを背負い、アパートを出た。

 鍵は、玄関の扉に付いているポストから部屋の中に落とした。

 部屋の明け渡しの立ち合いはなく、鍵をポストに入れるだけであった。

 

 緒川から名古屋へ。

 名古屋で、駅弁を買った。

 「ひつまぶし巻」があったので、2つ買った。

 この旅行で、ウナギを食べていなかったので、迷わずこれにした。

 それから、これも迷わず2二本買った。

 缶ビールの大きいほうを二本・・・。

 新幹線の切符を買ったら、2人用の座席が無く、3人用の座席の通路側になった。

 ホームでは、5分くらいの待ち時間で「ひかり」が停まった。

 乗車すると、すでに、隣の席には、30歳くらいのサラリーマン風の男性が、居眠りをしていた。

 荷物を、膝の前に置き、駅弁と缶ビールを出し、遅い朝飯を食べた。

 隣のサラリーマンにおかまいなしに。

 食べ終わり、列車の掲示版を見つめた。

 「御嶽山の噴火」の救出状況を流していた。

 しばらくして、うとうとと、となりのサラリーマンと同じになった。

 東京に着いた。

 西も東も、南も北もわからない。

 とにかく、駅の外に出よう。

 タクシーを拾おう。

 そう、思った。

 どちらの何処に出たかは、わからなかった。

 運よく、タクシーが眼の前に停まっていた。 

 「お願いします。」と乗り込み、「かっぱ橋まで。」といい、お願いした。

 どこを走っているのか、全く、わからなかった。

 10分くらい過ぎる、左に「上野」の表示があり、その奥に森が見えた。

 きっと、あそこが「上野公園」と思った。

 上野を過ぎると、「かっぱ橋」には、5分もかからずに着いた。

 道具街を歩きはじめると、すぐに、幟を売っている店があった。

 入ってみると、私が欲しいと思っていた30センチくらいの大きさの幟はなかった。

 幅50センチで、2メートルくらいの長さの垂れ幕であった。

 これも、買っておこうと思い、購入した。

 歩いていると、幟を扱っている店が数件あったが、爺さんの御希望の品は、現れなかった。

 通りから店の中を見ると、70センチくらいの大きさの黄色の鯛の風船が眼に入った。

 店に入ってみると、その鯛の風船の下に、「元祖、鯛焼」とかかれた板が、ぶら下がっていた。

 我が店のシンボルとしよう。

 そう思い、これを買った。

 買物が終り、浅草へ・・・。

 浅草がかっぱ橋と近いということは、前もってインターネットで調べておいたが、どちらの方角かがわからなかった。

 少し歩いていると、「浅草」の表示が現れ、それに沿って移動したら、「花屋敷」の前を通り、「浅草寺」を裏から入ることができた。

 浅草に来たのは、インターネットで「スカイツリーの見えるホテル」でホテルを探したら、浅草にホテルがあったからであった。

 お参りし、「仲見世通」を歩いた。

 沢山のお土産を売っていた。

 伯は、その中から「ひよこ饅頭」を買った。

 ブラジルへのお土産であった。

 ホテルは、すぐに見つけことができた。

 チェックインを済ませ、部屋に行き、荷物を置き、すぐにスカイツリーに向かった。

 スカイツリーがすぐそこに見えていたから、道を聞くこともなく、歩きははじめた。

 橋を渡ると、「アサヒビール」のかの有名なオブジェのあるビルの前を通った。

 どんどん歩いた。

 近くにあるのに、なかなか着かない。

 先日「めんどうみ」社長の事務所に車を返しに行った時、私が「スカイツリー」に登ってブラジルに帰ると言った時に、社長が、「あれは。歩いても、歩いても、なかなか着かなかった。」と話していたことを思い出した。

 なかなか着かないのは、誰も同じだ、私の足の長さが原因ではなさそうだった。

 スカイツリーに着いた。

 沢山の人で、混雑していた。

 スカイツリータウンをゆっくりと、歩きスカイツリーの屋上へのキップを買おうとした。

 待ち時間が1時間半とあった。

 待つのか・・・。

 これくらいは、ブラジルでの待ち時間の多さで、鍛え上げられていた。

 覚悟した。

 そしたらその時、伯が「止めよう。」と言いだした。

 すぐに、そうしようと思った。

 記念に登ってもよかったのだが、帰りが遅くなる。

 夕食に間に合わないかもしれない。

 (本当は、爺さん、助かったのであった。

 蒲郡ラグーナの観覧車でさえ、固まっていた爺さんである。

 あんなに、高い処に行ったら、1歩も動けずに、立っても居られなかったかもしれない。

 また、伯に笑われそうなのだから・・・。)

 もう1度、スカイツリータウンの店を見ながら、外に出た。

 ホテルに戻り、夕食まで少し時間があったので、屋上に行き、空にそびえ立つスカイツリーを見ながら、ビールを頂いた。

 6時になり、夕食のため、カウンターに行き、夕食の場所を聞いた。

 「お客様は、夕食を注文されていません。」だって・・・。

 そんなつもりではなかった。

 夕食が入っていると思っていた。

 残念だったが、仕方がなかった。

 その時に、ちなみに、「朝食はどうなんですか?」と聞いたら、朝食は付いていた。

 まるきりの珍道中・・・。

 ホテルを出て、閉店した「仲見世」を通り、途中で横道に入った。

 「もんじゃ焼き」の看板。

 これにした。

 この方がよかったかも知れなかった。

 沢山の客が入っていて、満員であった。

3組目の待ちであった。

 店の外の椅子に座り、待った。

 薄暗い路地の店であったが、店の前を沢山の人が行き来していた。

 

 店に入る。

 注文をした。

 「もんじゃ焼き」の材料が届いた。

 焼き方がわからなかった。

 丁寧に教えてもらった。

 隣の客の食べ方を、横目で見ながら、食べ方を覚えた。

 美味しくて、お代わりを頼んだ。

 壁に「電気ブラン」という酒があるよ・・・と貼ってあった。

 なんじゃこれ。

 聞いたこともない酒。

 飲んでみよう。

 注文した。

 「電気、ブラン」が来た。

 ブラジルのピンガより少し緩やかな酒であった。

 ピンガに似た味であった。

 美味しかった。

 ・・・・・・爺さん、酒なら何でも美味しいと感じる。

 店を出た。

 伯と2人で。店じまいした「仲見世」を歩いた。

 爺さん、気分が良く、人道りが少ないこともあり、太極拳をやり始めた。

 いや、誰が見ても、盆踊りであったろう。

      そびえ立つ スカイツリーへ 歩きゆく

           行けども行けども まだ着きはせず 

夜の浅草仲見世を歩く。

太極拳をやっているつもりであるが、なにせ、酔いが回り、盆踊りなのか、何なのか。

酔い心地、最高・・・・!!!

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