風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第234段

40日間、日本滞在(その42)

 帰り仕度

 長々と私の職歴を書かせてもらいました。

 馬鹿で、世渡りが下手な頑固ジジイであることがよくわかる。

 が、私が55歳になった頃にかかってきた「めんどうみ」社長からの1本の電話で、私の最後の10年間の仕事を、めんどうを見て頂きながら、私なりにやりがいがある仕事をさせて頂き、仕事を終えることができた。

 有難いという他はない。

 さて、今日は9月26日。

 日本に滞在できる日にちが、あと数日となってしまった。

 伯と一緒に、帰り仕度をした。

 ブラジルに戻ってから使う予定の「海苔」や「わかめ」やみやげ物をスーツケースに入れていった。

 日本にいる間にあちらこちらから頂いた品物を詰めていった。

 1つ1つ詰めていたら、頂いた人の顔が浮かび、「またね」と思いながら・・・。

 

 日本に来た時は、スーツケースが3つであったが、荷物が増えていた。

 先ほど書いた頂き物などで、品が多くいなっていた。

 滞在中に、可愛くて優しいお婆ちゃんから、伯が沢山の日用品を頂き「ブラジルで使ってね。」と。

 それも、スーツケースに入れてスーツケースごと頂いた。

 そのスーツケースにも、沢山の品を入れた。

 だから、来た時は3つが、帰るときは4つになっていた。

 おばあちゃんは、私たちの荷物が増えることを見越して、私たちにスーツケースを下さったと思っている。 

 さあ、クロネコヤマトに行こう。

 クロネコヤマトに荷物を預け、成田空港まで運んでもらうことにしたのだった。

 計量は、1つの荷物が25キロ以下ということであった。

 4つの荷物をそれぞれ計量したら、お婆ちゃんに貰ったスーツケースに入れた物が3キロオーバーであった。

 1番大きいので、当然1番重たかったのだ。 

 そのスーツケースから、ブラジルに戻ってから、私が使うように揃えた草刈りの道具(ネジリ鎌)や、かんな(ブラジルにはない)などを、出して、計量パスの重さにした。

 私もこんなに簡単に減量できたら、いいのに・・・。

 1つのスーツケースが25.1キロであったが、これはおまけということであった。

 スーツケースから出した品は、私のリュックサックに入れて、成田空港まで持って行き、そこで、再度スーチケースに入れることにした。

 飛行機は、1つ30キロまでは良いとのことみたいである。(勉強不足で、詳しい重さは知らない。)

 かくて、荷物とは、4日の間、離れ離れになった。

 そして、その足で、高浜方面に向かった。

 途中のガソリンスタンドで、ガソリン満タン、洗車をした。

 洗車が終わり、「めんどうみ」社長の事務所に行った。

 「車、ありがとう。」

 「ありがとうございます。」なんて言葉は、使わない。

 「ありがとう。」だけ・・・。

 そんな、気さくな人間関係と思っている。

 20分くらい、雑談し、2階の社長室から1階に下りた。

 事務員さんが2人いただけで、男連中は仕事で、全員出掛けていた。

 事務員さんと「元気でね、また、会えるよ。」と2言、3言、声を掛けた。

 記念の品を伯と私に手渡してくれた。

 事務所の扉を開けて外に出た。

 もう1度、ここで皆の一緒に仕事をしたいと、うしろ髪を引かれる思いであった。

 でももう、若い奴らが、やりこなすに決まっている。

 事務所を出ると、駐車場に黒い「トヨタ bB」が止まっていた。

 私が、日本滞在中に社長から借りた、車である。

 私は、「bB」のフロントガラスにそっと手を当てた。

 「ありがとね、助かったよ。あんたが、付き合ってくれたから、楽しい旅行が、もっと楽しくできたよ!」

 何も言わない「bB」君は、寂しそうであった。

 私が寂しいので、そう見えたのかも知れない。

 旧事務所のあった通りに出ると、3階建ての事務所棟は、すでになく、賃貸用の1戸建てがズラリと並んでいた。

 「めんどうみ」社長の新しい事業の1つであった。

 その道を挟んだ処の民家の庭には、私が毎年、3階の旧事務所から見ていた、大きな「金木犀」が花開き、「この世は、我がもの」とばかり、香しい匂いを放っていた。

 懐かしい、樹である。

 この旅で、京都でお世話になった健誠君宅の庭にも、「金木犀」が植えてあり、今、盛りに咲いていることであろう。

 「金木犀」の花言葉、「謙虚、謙遜」。

 秀才なのに、この言葉のような健誠君には、ぴったりの健誠君宅の庭樹である。

 電車、バスを乗継ぎ、東浦に戻った。

 少し遅い、昼飯であった。

 最後だから、何処に?

 伯も私も、昼ということで、想い出の多い店である丸亀製麺に行き、2人が好きな「釜揚げうどん」を注文した。

 何時もは。並の大きさで、「かきあげ」をつけていたが、この日は、「釜揚げうどんの大」だけを食べた。

 当然のこと、美味しいとしか言いようがなかった。

 アパートに戻った。

 何もない。

 殺風景な、部屋の中。

 テレビを見るだけ。

 見ていても、ぼんやりと見ているだけ。

 寝入ってしまった。

      荷づくりの 品々見ると 笑顔なり

           あの顔この顔 元気でいてね

さようなら bB君、ありがとう。

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