風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第233段
40日間、日本滞在(その41)
「めんどうみ」社長(その5)
私は、新しい会社で10年の間、在籍させてもらった。
最後の2年は、嘱託として、半日の勤務であった。
客先の工事や清掃は若い社員がやるようになり、現場には、殆ど行かなくて済むように、なった。
仕事を、始めた頃の2年間は、排気ファンの清掃や、塗装ブースの清掃をこなしていたが、清掃の仕事がだんだん増えてきて、社内では、やり切れなくなっていた。
すでに、外注に依頼し、清掃をしていた部分があったが、それでも、頭数が足りない。
何処からか社長が、4名の人員を集めてきた。
それで何とか、仕事をこなすことができた。
その集まってきた4人の中に、江藤さんという人物がいて、「清掃の人間なら、集められるよ。」と言ってきた。
私は、この際、江藤さんに清掃の仕事を請け負わせようと思い、社長に提案した。
話がまとまり、江藤さんに塗装ブースの清掃や排気ファンの清掃を依頼した。
江藤さんは、バイタリティーのある人物で、次々と、請負った仕事をやりこなしていった。
塗装ブースの改善、メンテの仕事も増加していた。
メンテや改善は、ラインが止まる土曜日と日曜日しかできない。
大きな改善や、修繕は連休であるゴールデンウイーク、盆休みそして、正月休みに工事をしていた。
社長は、忙しくなって来たと思うと、何処からか、人を探してきて、正社員にし、仕事をこなしていった。
何処から、探してくるのだろうか?
「どらえもんの魔法のポケット」みたいであった。
事務員さんは、どなたかの紹介で、入社されたが、優秀な事務員さんで、私のお願いした仕事は、100%こなす力を持っていた。
仕事がますます、増えてきた。
或る年の正月休みの工事では、除夜の鐘を聞きながら、仕事をしたことがあった。
そこまでしなければ、工数が不足していた。
また、1,000坪を超す敷地の中に、どでかい塗装ブースを新築する仕事まで受注するようになった。
社員が増えて行き、私が現場に行くことはなくなった。
「お爺さんは、ゆっくりしていてくれ。」との社長の言葉であった。
会社の雰囲気が、やる気満々になり、「ISO 9000」を取ることになった。
誰も知らない。
講師を招いて、勉強会を開いた。
そして、私を中心に、半年がかりでまとめ、審査をうけ、取得することができた。
事務所の中は、カウンターなどを新しくし、見違えるくらいに、綺麗になった。
ISOの教育として、私は「エクセルの関数」を事務員に教えた。
このことで、普段使っていた帳票が、早く作成できるようになった。
人材派遣の仕事も、当初10名くらいの派遣であったが、多い時には、50人を超すようになり、一般派遣業の登録も終えた。
今、酒宴の席で、10名を超す社員になっている。
一緒に排気ファンの掃除をした寝坊助の八重樫君もいる。
もう、30歳を過ぎ、家庭を持ち、2児の父親になっている。
「お父さん、早く起きて…。」なんて言われていないよな?
私がいた3年前と違い、仕事の内容が変化しつつある様だった。
成功を祈るばかりである。
こうして、私の最後の仕事は、仕事をしないのが仕事ではなくなっていた。
小さな会社での仕事であったが、満足している。
問題児の私を拾い上げ、何かと面倒を見ていただいたこと。
決して、忘れることはありません。
ありがとうございました。
仕事無き 我を呼びとめ 一緒にと
優しき言葉 優しき心
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