風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第231段

40日間、日本滞在(その39)

 「めんどうみ」社長(その3)

 少し、長くなっていますが、このように書いていかなくては、私が書こうとしていることに行きつかない。

 暫くは、お付き合いをお願いします。

 再就職後、平社員として1年が過ぎた。

 総務、人事を担当していた私より10歳年上の先輩が、定年退職することになり、私は総務、人事を受け持つことになった。

現場を離れ、従業員の世話をした。

 50歳を過ぎた私には体力的には、有難い仕事であった。

 精神的にも安定を取り戻していた。

 こうして、元気に元の会社で働くことができるように計らってもらえたことを、今でも感謝している。

 その会社が、仕事を親会社に返し、休眠会社にするとの情報が入った。

 親会社が、資本を投下し、新しい会社を立ち上げ、従業員は全員、新会社に移ることになった。

 生産拠点は、今までと同じ場所であった。

 新しい会社が出来ると、親会社から数人が出向して来た。

 社長は、私がブロー工場をまかされていた頃に、お世話になった、部長が就任された。

 他に、総務部長、製造部長、品証課長、製造課長などが出向して来た。

 総務部長が来たことで、私はまた、製造部に戻された。

 懐かしい、ブローのラインであった。

 ブロー専門の製造課長が出向してきていて、私は、その手伝い程度であった。

 ある日、一緒に新しい会社に移ってきた

女性の従業員が、私に相談してきた。

 この従業員は、前の会社に永く勤務していいたベテランの女性で、私より少し年上であった。

 「製造の阿部部長に、明日からくるな!と言われた。」とのこと。

 私が前の会社で総務、人事を担当していたことで相談に来たのだった。

 

 阿部部長は、ズボンの後のポケットに両手を入れ、少し前かがみになり、肩を揺すって「俺は、親分だ。」と言いたそうな歩き方をしていた。

 言葉は、べらんめい調で、威嚇するように話すことが多かった。

 だから、従業員は、影で「阿部部長のいうことだから、しょうがない。」などと言っていた。

 気に行った者には、優しくし、気に入らない者は、徹底的に排除するという「セクト主義」の考え方のようであった。

 私は、阿部部長に、話をした。

 「野々辺さんのことですが、明日から出社するなとは、どういうことですか。」

 「そういうことだ。」

 「そういうことだと言われても、それはおかしいとちがいますか?」

 「馬鹿野郎!#$%&‘%“!」

 「なんですか、&%$#“!」

 どなり合いが始まった。

 阿部部長は、背が小さく、私の許可なしで、私よりちんちくりんであった。

 ちんちくりんに「超」が付く。

 その超ちんちくりんと、お馴染みのちんちくりんがリングに上がり、どなり合ったのです。

 廻りの人間は、このちんちくりん同士の口喧嘩を、きっと、ちんちくりん頑張れ!と私を応援してくれていたであろう。

 そして数日後、私は、製造部を外され、品証部に配置替えさせられた。

 阿部部長は、製造部担当であったが、あちらこちらの部署に、お構いなく入り込み、自分の意見を汚たない口調、べらんめい調でごり押ししていた。

 品証課長は、おとなしく、どんなことでも反対はしなかった。

 品証部に移り、何の仕事をするかと言えば、クレーム処理だけであった。

 クレームが出ると、豊田の諸工場、藤松、長草、田原、鈴鹿、湖西とクレーム処理に出掛けた。

 金曜日、もうすぐ休みになるよ、と言う時にもクレームが入った。

 夜遅くまで、クレーム処理で工場に残っていたこともたびたびであった。

 

 クレームが無い時には、私の仕事はなかった。

 完全なる「窓際族」であった。

 製造部のクレームの改善の方法などで、2回、ちんちくりんの2人は、リングに上がった。

 私も、頑固だから、すぐにリングに上がりたくなってしまう。

 阿部部長に可愛がられている従業員は、平気で「クレームだしても、私たちなら阿部部長は許してくれるから心配ない。」など、堂々と言っていた。

 あまりにも、馬鹿らしい光景であった。

 気に入らない従業員がクレームを出した時には、呼びつけ、長々と説教であった。

 根本的なクレーム対策など、やれてはいなかった。

 ただ人的ミスとして、処理していた。

 そして、クレームを出した従業員に、「クレームを出した人物はこの人間だ。」と、さらし首にするように黄色の帽子を冠せるようなばかばかしいことだけをしていた。

 

 私は、クレーム処理が無い時は、工場の「隠れ家」で寝転んでいた。

 1日中の時もあった。

 「隠れ家」は、検査治具が置かれている部屋で、誰も来ず、入り口から奥は、薄暗くて、その中に人がいても、見つけにくい場所であった。

 おとなしい品証課長は、私がそうしていることを知っていたと思う。

 クレームがある時だけ、私の携帯電話に電話がかかり、現場に駆け付けるように指示が来た。

 阿部部長が知っていたかどうかはわからない。

 「クビ」にするより、仕事を与えずに、生殺しにしていた方が、面白いと思っていたかもしれない。

 あと、2年で超ちんちくりんは定年退職になる。

 このまま、我慢しようではないか。

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