風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第228段
40日間、日本滞在(その36)
伯の友達に会う
日本にいた頃、ふとしたことで伯と友達になったタエさんと食事をすることになった。
伯の東浦での日系人の新しい友達は、タエさん1人である。
タエさんは、私たちが借りたアパートから南に2キロほど行ったところに、息子さんと一緒に暮らしている。
還暦を過ぎても、1時間以上かけて電車、バスを乗継ぎ、自動車部品製造の工場で働いている。
左足が不自由で、杖をついていなければ、歩行は困難である。
タエさんのアパートまで迎えに行き、大府市で東浦に近い場所にある「あいち健康の森」の東口の駐車場に車を止めた。
タエさんがこの「あいち健康の森」を1度歩いてみたいとのことで、伯と3人で「健康の森」を歩きはじめた。
中央に池が作られ、その周囲は1,000メートルほどのウオーキングコースになっている。
多くの人が歩いていた。
中には、ランニングをしている人もいた。
ここには、私たちが高浜に住んでいた頃の土曜日、日曜日に買物がてらウオーキングに来たことがあった。
いま、タエさんと3人で歩いている。
杖をつきながら、一生懸命であった。
歩きはじめ、半周した処で、ベンチがあり、3人で腰を掛けた。
「ああ、すっきりした・・。やっと、ここを歩くことができた。もう、いいよ。」
タエさんは満足して、こう言った。
少しの休憩をとり、「あいち健康の森」の西にある「げんきの郷」に行き、そこにある和食の店で昼食を食べた。
タエさんは、日系2世で、日本語は達者である。
伯と話す時は、ポルトガル語で、私と話す時は日本語であった。
仕事がきついと言っていた。
還暦を過ぎ、不自由な足での通勤である。
きついに決まっている。
「もう少ししたら、ブラジルに戻り生活したい。」と話していた。
私は、日本で働く日系人のなかで、ブラジルに帰りたくても、帰れない人が沢山いると思っている。
帰国するためのお金の問題、ブラジルに帰ってからの生活の問題で、考えがまとまらない日系人が、きっと沢山いると思っている。
タエさんは、ブラジルに家があり、ブラジルに帰ってからのことを考え、「年金」をかけていて、ブラジルでの生活を「年金」でやっていこうと思っているようであった。
ブラジルでのタエさんの住んでいた街は「ウバツバ マラムドゥバ」というところである。
タエさんは、もう2年したら、生まれ故郷の「ウバツバ マラムヅゥバ」に帰る計画を持っている。
この街は、サンパウロの東にあり、海岸沿いに美しい砂浜が続いている街と聞いた。
タエさんと別れる時に、日本語でタエさんに聞いた。
「タエさんがブラジルに帰ったら、タエさんの家に遊びに行っていいですか?」
「いいですよ、2人で遊びに来てください。」
何処までも続く砂浜。
透きとおった海。
きっと、会いに行きます。
元気な、そのままの姿でブラジルに帰って来てください。
ブラジルで伯と2人で待っています。
還暦を 過ぎし通勤 杖つきて
思うは故郷 ブラジルの浜
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