風よ伝えて(爺さんのブラジル移住)第225段
40日間、日本滞在(その33)
郡上八幡(その3)
長良川鉄道から見た長良川、そして郡上八幡での清らな流れ。
これだけを見るだけで、この旅行の目的は達成できた。
明日は、「郡上八幡城」のある山に登る計画ではあるが・・・。
晩酌の地酒を買い、旅館に入った。
宿帳に記名。
名前は漢字で、住所はアルファベットで。
日本でブラジルの住所を書くのは、これがはじめてであった。
風呂に入り、ゆったりとテレビを見ていたら、眠りこんでしまった。
伯も疲れたのか、一緒に寝入っていた。
夕食ができたとの、電話が入り、1階の食堂まで移動した。
食事は、山の風味が盛り込まれ、素朴な夕食であった。
「ほおば味噌」、「地場野菜のてんぷら」、「アユの塩焼き」などであった。
「どぶろく」があるとのことで、「どぶろく」を飲みながら、料理を味わった。
「どぶろく」は、私1人が飲んでいた訳ではない。
向かい側に座っている人と一緒に飲んだのである。
「遠くから、来られたのですね。日本語が、上手ですね。」と、ここでも同じように、ブラジル人になってしまった。
「ええ・・・。」とだけ。
これで、いいんです。
食事が終わり、外に出てみることにした。
宿が「宗祇水」に近かったので、「宗祇水」まで行った。
昼間は、人が沢山でゆっくりできなかったが、夜八時を過ぎた今は、誰1人いなかった。
「宗祇水」を口に含み味わってみた。
昼と同じように、「宗祇水」の奥にある川の岸辺に座った。
昼間にした川に足を入れるようなことはしなかった。
伯と2人で、暗い川の岸に・・・。
空には、沢山の星が輝き、川の流れの音が私達に心安らぐ初秋の夜のプレゼントを・・・。
山間の川の岸辺にたつ民家の薄暗い灯が、川面にゆらゆらと揺れていた。
ブラジルでの今からのことを話した。
美容師のこと、鯛焼のこと、庭作りのことなど。
焦ることはない。
1つ1つ、積み重ねていこうではないか。
私の仕事は、伯の手伝いだけである。
迷いが出てくることもあるであろう。
でも、話し合い、やりとげよう。
お互いの人生を良くするために。
草取りの話をした。
私の左腕と肩は、草取りのために、左の腕を下にして眠ることが出来なくなっていた。
その痛さを知って、小さな袋に、沢山のポケットティッシュ(ブラジルでは、なかなか売っていな貴重品)と一緒に、痛み止めの「張り薬」を、そっと入れてくれた優しく可愛いおばあちゃんの思いやり・・・。
今、その張り薬を貼り、やっと、左を下にして眠ることが出来るようになった。
でも、まだ痛みは消えてはいない。
伯は、それを心配してくれている。
早く痛みが取れてくれるといいのに。
きっと、治るさ。
翌朝、テレビを見ると、接近していた台風のため、美濃地方には、大雨警報が出ていた。
「郡上八幡城」に登ることを断念した。
朝の食事を取ると、何処にも行かずに、高速バスに乗り、郡上八幡を離れた。
ゆらゆらと 川面に映りし 灯に
語らう2人の 影揺れ動く
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